「関東軍と東京の陸軍とはどういう関係にあったのですか」
満洲事変に深いご関心を示す陛下の反応を内心不思議に思いながら、私たちはこもごもこういう説明を続けた。
板垣や石原は東京の陸軍省や参謀本部の意向を無視してでも満洲を占領するつもりだったこと、ただ、彼らの動きに東京がまったく気づいていなかったわけではなく、陸軍中枢には多数の賛同者がいたことなどである。
陛下は異を唱えた
「私の読んだ本に書いてあることとは違う」
そのうえで半藤さんはこんな裏話も披露した。
「陸軍の中枢は、板垣や石原の動きに対して見て見ぬふりでいるつもりだったのですが、動きに気づいた元老西園寺公望や若槻礼次郎首相に『勝手な動きをするな』と厳しく注意され、南次郎陸相は、『あいつらを止めねばまずいことになる』と悟りました。そこで参謀本部の作戦部長建川美次少将を派遣してこの謀略を止めようとしたのです。
ところが派遣された建川は、関東軍の幹部と意を通じてもいまして、まあ、本気で説得するつもりだったのかは怪しいものです。飛行機で行けばいいのに、わざわざ列車で下関まで行って関釜連絡船で大陸に渡っている。
やっとこさで奉天に着いた建川を出迎えたのがほかならぬ板垣大佐。挨拶もそこそこに、2人はそのまま料亭菊文に出かけて酒を飲み始めた。建川は大の酒好き、これに対する板垣のあだ名も午前様。午前にならないと盃を放さないという酒豪です。最後は建川が酔い潰されてしまった。関東軍は2人が飲んでいる間に柳条湖付近で鉄道を爆破したんです」
陛下にとっては初めて聞く話が多かったようで、「私の読んだ本に書いてあることとは違いますね」ともおっしゃる。それで私たち3人は「えっ」となった。半藤さんは「陛下はどういう本をお読みになったのでしょうか」とすかさず聞いた。こういう質問をずばりとできるのはいつも半藤さんだった。陛下よりも3歳年長ということと、長年の経験ゆえだろう。
陛下がすっと立ち上がった。
「では、私の読んだ本を書庫から持ってきます」
突然、部屋を出て行った陛下の行動に驚いている私たちに、美智子さまは雑談の相手をしてくださった。
陛下はどうしてこの戦前の本を
お読みになったのだろう?
「書庫は遠いのですか。どういう書庫なのでしょうか」と私が尋ねると美智子さまは、
「いえ、陛下がよく読む本は、書庫とは別のところに置いてあるんですが……」
とおっしゃる。陛下が不在だったのは10分くらい。やはり書庫で本を探したようだった。
「この本なんですよ」
と渡された本は厚手のハードカバーの古めかしい本だった。しかし、著者を見てもピンと来ない。半藤さんに「この人、知ってますか」と聞いたら、「知らないな」という。奥付を見てびっくりした。「昭和8年」とあるのだ。事変からまだ2年後、言論統制は太平洋戦争の時ほどではなかったとはいえ、事変の真相を書けるはずがない。しかし陛下は、
「私はこれを読んだんです」
とおっしゃる。正直なところ、私も半藤さんもあっけにとられた。内心では「満洲事変について戦後に書かれた本はたくさんあるのに、どうしてこの戦前の本をお読みになったのだろう」という疑問が湧いた。