「陛下、この本は今出ている満洲事変の本とは、事変に対する理解がまったく違います。この本はまだ軍の謀略だったことを隠しています」と半藤さんが言った。私も続いて「戦前のこの段階から研究が進み、今は真相とともに詳細な事実が次々と明らかになっています」と申し上げた。

 すると陛下はあっさりと「そうでしょうね」とおっしゃる。私たちの反応に驚いた様子はなかった。予想していたのだろうか。ではなぜわざわざあの本を持ち出されたのだろうか。両陛下は、新聞も読み、テレビも自由にご覧になって、本も自由に入手できる環境におられる。たまたま陛下の手の届くところにあったこの本を読まれ、その内容に疑問を感じ、気安く聞ける相手に見せて確認したかったのだろうか。

「それでは満洲事変は関東軍が仕掛けた謀略という理解でよろしいのですね」

 と陛下は私たちに確認された。それで間違いありませんと私たちは答えた。

田中メモランダムは
けっきょく誰が書いたのですか?

 ここで満洲事変の話はいったん終わったのだが、その次の3回目の懇談(2014年11月8日)の際、陛下の関心はさらに意外なところに向かっていることがわかった。

「ところで、『田中メモランダム』とはどういうものだったのでしょうね」

 田中メモランダム(田中上奏文)とは、1927(昭和2)年に当時の田中義一首相が昭和天皇に極秘に送ったとされる偽書だ。「支那を取るためにはまず満蒙(満洲と内蒙古)を取り、世界を取るためにはまず支那を取れ」と書かれ、満蒙征服の計画を具体的に示していると宣伝された。つまり日本の「満蒙侵略計画」であるかのように読める文書だが、この文書の存在を知る人はかなりの昭和史通だろう。

 1929(昭和4)年12月に中国の雑誌「時事月報」に掲載されたのが最初で、その後米国に流布された。東京裁判でも持ち出され、真偽が論争になったことはあるものの、すでに死亡していた山縣有朋が登場するなど誤りや矛盾点がいくつもあり、現在では完全なニセ文書だと確定している。

 陛下はむろんこうしたことはご存じの様子だったが、

「けっきょく誰が書いたのですか」

 と尋ねられた。

 誰が作ったものかはわからない。

 半藤さんは、田中メモランダムは偽書ではあるものの、「当時の日本の雰囲気をよく表した内容ではあったと思います」と話した。私は「推測ですが、ベースとなったメモ書きなどは日本側から流れたのかもしれません」と申し上げると、陛下はさらに関心を深められ、

「そのベースとなったメモ書きなどは誰が作ったんですかね」

 と問われた。