「いろんな説があります。政友会の田中義一に対抗していた民政党の息のかかった人たちによるものとする説、血気にはやる将校が意図的に撒いて中国を刺激しようとしたとする説、あるいは中国の謀略機関の捏造による文書などいろいろありますが、現在も判然としません」
私はこんな説明をした。
石原莞爾はそういうところでも
関与しているんですかね?
それでも陛下は納得されないご様子だったので、「実は、田中メモランダムをつくったメンバーとして、張作霖爆殺事件に絡んだ河本大作大佐など日本の軍人の名を挙げる人もいますね」と話した。実証されているわけではないが、そういう推測をする人がいるのは事実だったからだ。すると陛下はさらに興味を持った様子で、
「石原莞爾はそういうところでも関与しているんですかね」
とお聞きになったことに、正直なところ私たちはかなり驚いた。半藤さんは「石原は関東軍参謀でした。最前線で満洲事変に深く関係していますから、少なくともそういうことを考えない人物ではありません。ただ、石原が書いたと断言できる証拠はありません。専門家の研究でもやはり中国側による謀略文という説が有力です」と伝えた。
保阪正康 著
それでも陛下は納得されないご様子で、「そうなんですかねえ」とあいまいな言い方をされた。半藤さんは少し言い訳のように、「ただ、私もすべての仮説を綿密に検証できているわけではありません」とつけ加えた。私も似たようなことを言い添えた。すると陛下は「お2人とも忙しいんですね」とおっしゃった。
石原莞爾と田中メモランダムを結びつける発想は一般にはない。当時、対中強硬派で売り出し中の奉天総領事吉田茂(後の首相)と結びつけるならまだわかるくらいだが、石原はまだ陸軍大学教官から関東軍に赴任する前だったからだ。もしかすると石原のかかわりについては、陛下は何か核心的なことを誰かから聞いていて、もっと調べてはどうかと私たちにうながしたのではないかと思えるほどの熱心さであった。