自分たちのプロダクトやサービスがどう受け止められているかを客観的に観察したかったら、他人の立場に自分を置いてみるといい。真実に少しでも近づこうと思ったら、たくさんの異なる視点を集めるしかない。疑り深い投資家は、自分たちの数字をどう見るだろう? せっかちなユーザーは、自分たちのサイトをどんなふうに使っているだろう? ライバルたちは自分たちのプロダクトについて何と言っているだろう? 肯定的な意見だけでなく、否定的な意見も積極的に探し出してほしい。どれだけ長く生き残れるかは、自分たちの強みだけでなく弱点を認識できるかにかかっているのだから。
マスメディアに出るときに
起業家が隠しがちなもの
苦い薬を甘い衣に包みたくなる気持ちはわかる。勢いに乗り、マスコミに記事が出ると特に、そちらに気が向いてしまう。でも、いい評価を見つけたり、マスコミに褒められたりしても、厳しい真実が消えてなくなるわけではない。誰でも、自分たちのいいニュースには飛びつきたくなる。だからいい兆候ばかりに目が向いてしまい、最悪の場合、いいニュースを捏造してしまう。リーダーが自分を鼓舞して自信と支えを集めて立て直そうと努力しているとき、実際には、現実を直視したり難しい判断を下したりすることに伴う痛みや打撃を和らげようとしているのだ。
リーダーが好意的な記事をチームに流して、もっと大きな組織の問題から目を背けさせようとすることもある。僕は投資家として、投資先の起業家から報告を受けるたびに、それを思い出す。株主への進捗報告書は、必ず「事業は絶好調です!」という決まり文句ではじまる。そして5ページほどめくったところに、悪いニュースがひっそりと埋まっている。チームメンバーが次々と離脱して、あとふたりしか残っていないこと。家賃の節約のためにシェアオフィスから出たこと。このままいくとあと5カ月もせずに社員の給料さえ支払えなくなること。「ですが、先月のフォーブスに素晴らしい記事が掲載されました!」。そんな言葉は、微妙なメールに添える泣き笑いの絵文字のようなものだ。
ベンチャーキャピタル界の超大物ベン・ホロウィッツは、この問題を取り上げてブログにこう書いていた。「真実を語るのは、誰にとっても簡単なことではない。自然にできることじゃないし、当たり前でもない。人間は、相手が聞きたいことを話したくなるものだ。そのほうがみんないい気分になれる。少なくとも、そのときだけはね。逆に、真実を話すのはすごく骨が折れるし、スキルもいる」。
たとえば、経営陣がやめるとか、社員を大量解雇しなくちゃならないとか、売上が落ちているとか、そのほかの危機的な状況はみんな、話しづらいことの例だ。「会社を破壊しないように、真実を話さなければならない。そうするにはまず、自分が真実を変えられないことを受け入れなくちゃならない。真実は変えられなくても、そこに意味を見出すことはできる」