しかし、学問の自由は憲法でも保障されているので、当然、医学を学ぶ権利だって誰にでもあるはずです。医者になりたい人にしかそれを学ばせないというのは、本来はあり得ないことではないでしょうか。

 また、医学部が医者の養成機関となっているせいで、医学部の学生たちは、医学そのものの勉強にばかり必死で、それ以外の勉強にはあまり熱心に取り組みません。もしかするとそれが、医学の知識はあっても人格には疑問符がつくような医者がどんどん輩出される理由の1つではないかと私には感じられます。

医学部の改革の第一歩として
入試面接から教授を排除すべき

 もちろんアメリカとすべて同じシステムにする必要はないと思いますが、例えば大学の医学部もほかの学部と同様に4年間にして純粋な学問の場とし、本気で医者になりたいと思う学生だけがその先の大学院の医学部に進んで、そこでみっちり医者になるためのトレーニングをするというカリキュラムに変えるというやり方はどうでしょうか。

 これであれば、医学という学問がすべての人に開かれ、当然、入試面接をやる口実もなくなります。

 アメリカのメディカルスクールと同様に大学院を4年にすれば、かなり充実したプログラムが組めるでしょう。もちろん教授陣の質を上げることは絶対条件ですが、いい医者が育つ可能性は今よりずっと高くなると思います。

 医者を育てるための税金だって、主に大学院以降に投入されることになるでしょうから、大学卒業の時点で医者になる道を選ばなくても、誰に文句を言われることもありません。

 そうなると、大学院の入試に面接を課そうという話になるとは思いますが、この時点であれば「本気で医者になりたいのか」を問うてもいいかもしれません。

アメリカの大学に「医学部」がない意外な理由『ヤバい医者のつくられ方』(和田秀樹、扶桑社)

 ただし、「医者としての適性」はその後のプログラムで変わる可能性は十分あるので、それを入学の条件にすることに賛成はできません。

 もちろん面接官を教授が務めるというのでは、現在の入試面接の弊害が残されたままなのでこれは何としても阻止すべきです。

 そうはいってもおそらく既存の教授たちはなりふり構わず反対してくるでしょう。

 医学部のカリキュラムを変更するより、入試面接から教授を追い出すことのほうがずっと難しいことなのかもしれません。