日本の場合も、裁判官や検察官、弁護士になるのに必要な知識や能力を培うロースクール(法科大学院)は法学部出身でなくても進学することができますが、アメリカのメディカルスクールはそれと似たようなシステムになっているわけです。
つまり、18歳でいきなり医者になる道に入ることは原則的になく、4年制大学においてそれなりの教養を身に付け、精神的にもある程度、自立した人間だけを医者になるスタートラインに立たせるというのがアメリカのやり方です。逆にいうとそれだけの経験を重ねたあとに、医者になろうという決断ができるわけです。
多くは高校を卒業したばかりで、あらゆる意味でまだ未熟な受験生の「医者としての適性」を教育する側が判断し、それがないと決めつけた場合にはその道を閉ざしてしまう日本とは全く違います。
また、アメリカのメディカルスクールの授業料はかなり高額ですが、それに見合うだけの充実したプログラムが組まれています。
いい医師を養成しようという
本気度は日米で雲泥の差
もちろんプロフェッサー(教授)は、指導力の高さで選ばれているので授業の質も極めて高く、その点においても、まともな指導もできないのに教授を名乗っている人間がゴロゴロいる日本とは大違いです。
指導される側の学生たちもみな自立した年齢で、しかもたまたま頭がよかったからそこに来ているというわけではなく、本気で医者になりたいと思っている人ばかりなので、いい加減な授業をしたり、教え方が下手だったりするプロフェッサーは学生たちに低評価を喰らい、クビになります。これも教授に歯向かいそうな人間を入試面接ではじいている日本では考えられないことです。
さらに言うと、日本での臨床研修はいい加減な指導医のもとでたったの2年ですが、アメリカでは4年もあります。
つまり、どこを比べても、いい医師を養成しようという本気度に日本とアメリカとでは雲泥の差があるのです。
日本の大学の医学部は、実質的に医者になるための「職業教育」の場と考えられています。だから、「医者としての適性」や「医者になりたいという高い志」があることが入学の条件になっていて、それを口実に入試面接が行われているわけです。