「ニセ医学」や「反標準治療」などの話題を目にするたびに、ずっと気になっていたことがある。患者側のことではない。「なぜ、医学を学んできたはずの医者が、ニセ医学を実践するのか?」ということだ。
発売直後に重版出来した『世界最高のエビデンスでやさしく伝える 最新医学で一番正しい アトピーの治し方』の著者であり、京都大学医学部特定准教授・皮膚科専門医の大塚篤司氏が、アトピー医療をベースに、「ニセ医学をすすめる医者の心理」についてお伝えしていく。(構成:編集部/今野良介)
「私の言う通りにすれば絶対よくなる」と信じている医者
医療には限界があり、医学は完璧ではない。治せない病気は、未だ数多く存在する。じっくり考えれば当たり前のことだが、医者はこの前提を忘れてしまうことがある。
ぼくはこの状況を「水槽の中と外」というイメージで捉えている。ぼくたち医者は、水がたっぷり入った水槽の中にいる。医者のまわりには水がいつもあり、どこまでも水で満たされていると感じる。標準治療を実践している医者は、水槽の真ん中にいるようなものだ。外から見れば、内と外を隔てる壁はたしかに存在するのだが、水槽の真ん中にいる限り壁は見えにくいし、水槽の外を意識することが難しい。
医学や医療が完璧ではないということは、悲観すべきことではない。新しいことが発見され、少しずつ水槽が大きくなり、水が豊かになっていくということだ。
しかし、医者は、今解き明かされている医学的知識ですべてを説明できると信じてしまいがちだ。これは錯覚なのだが、水槽の外の世界を否定する心理はそこから生まれる。
たとえば、患者さんから「言われたとおりにやりましたが、よくなりません」と言われたとき、「そんなことはない」と答える医者がいる。冗談のような本当の話、「痛いです」と訴える患者さんに「そんなはずはありません」と医者が答えた例もある。そこまで極端ではないものの、ぼくもかつて患者さんの言葉に「そんなことはないだろう」と思っていた時期がある。医者は、それほどまでに医療の限界を意識しにくい。
アトピー治療の場合を考えてみよう。「ステロイドを塗れば必ずよくなる」と心の底から信じている医者がいる。「医学に絶対はない」とわかっていながら、治療には「絶対」を信じてしまっているのだ。
本当に、すべてのアトピーはステロイドで治るのか。治らないと訴える患者さんは、全員嘘をついているのか。アトピーが治らないのは、患者さんが医者の指導を守らなかったせいなのか。ぼくはそうは思わない。もちろん、多くの患者さんはステロイドを使った標準治療でアトピーはよくなる。水槽の中の治療で十分対応可能な患者さんがほとんどだと思っている。今回の本でも、今言える限りの医学的に正しい情報と、間違った情報が間違っている根拠を伝えている。
しかし、事実、アトピーの標準治療にも限界はあるのだ。それならば、標準治療では対応できない患者さんたちに医者は何ができるのか。「標準治療ではアトピーはよくならない」と感じてしまった患者さんたちにどんな選択肢を提供できるのか。ぼくたち医者はそれを考え続けなければいけない。
「ニセ医学」をすすめる医者の心理
誤解のないようにしつこく言う。ほとんどのアトピー患者さんは標準治療でよくなる。しかし、一部、重症の患者さんが標準治療ではよくならないことがある。そういう「標準治療ではよくならない患者さん」に対して、ぼくたち医者が十分な対応を取れていなかったことが、アトピー医療の問題を引き起こしてきた原因の1つになっている。「標準治療以外、すべて悪」と決めつけてしまう医者が、患者さんを民間療法へ導いている要因の1つであるとぼくは思う。
少なくとも、2018年に「デュピクセント」という新薬が登場する前までは、多くの医者が「水槽の外の世界はない」ものとして振る舞ってきた。もちろんデュピクセントにも限界がある。効きが悪い患者さんもいるし、小児にはまだ適応されていない。なお、デュピクセントの正しい使用法についてはここでは省くが、興味がある方は本をご参照いただきたい。
さて、「治らないのはあなたのせい」と言われ続けてきた患者さんは、標準治療ではない何かを求める。そして、その「何か」を提供する医者が存在する。
ここでややこしい問題が発生する。標準治療ではない何かを提供する「やさしい医者」が「医学的に正しいことをしている医者」だと、患者さんに勘違いされてしまうことである。
「ニセ医学」を語る医者の中には「ニセ医学を実践する医者はすべて金儲けが目的だ」と主張する者がいる。ぼくはそうは思わない。ニセ医学を行う医者の中にも「水槽の外」が見えている者が、わずかながらいる。「標準治療でうまく治らなかった患者さんをなんとかしたい」という一心で、ニセ医学を推奨する医者もいる。
しかし、そういう医者の多くは、やさしいだけで、能力が伴っていない。なんとかしてアトピーを治したい患者さんと、実力の伴わない医者の善意が重なって、ますますアトピーを悪化させてしまう。
もう1つ、問題をややこしくしているのが、アトピーという病気の性質だ。アトピーは、放っておいても快方に向かう「自然寛解」がみられる疾患である。たまたま自然寛解に向かっているタイミングと、ニセ医学を提供されたタイミングが重なることによって、オリジナルの治療法に自信を深めてしまう医者がいる。
その偶然に自然寛解と時期が重なったオリジナルの治療法を、医者が科学的に検証することなく他の患者さんに行った場合、多くの患者さんのアトピーを悪化させてしまう可能性のほうが高い。
「医者の承認欲求」を満たすニセ医学
お金目当てでもやさしさからでもない理由で、ニセ医学を推し進める医者がいる。自分の承認欲求を満たしたいがためのニセ医学だ。医者が教祖のように振る舞い、患者さんは信者のようにニセ医学に従う。まるで宗教のように見える医者と患者の関係性は、医者が己の承認欲求を満たしたいがためにニセ医学を実践した証でもある。
「いやいや、医者になっただけで、もうじゅうぶん承認欲求は満たされてるんじゃないの?」と、そう考える方がいるかもしれない。たしかに、医者は世間的に認められやすい職業だし、病院の中ではトップの存在として扱われる。看護師や患者に怒鳴る医者もまだいる一方、医者に怒鳴る看護師というのは聞いたことがない。少なくとも病院という組織の中では、医者は承認欲求を満たされているはずではないかと思うだろう。
しかし「医者同士」となると話は別なのだ。医者としてキャリアを積めば自分より優秀な医者はごまんといることを知るし、上下関係も厳しい業界だ。特に、大学の医局に属している医者は、理不尽な思いをすることがしばしばある。無給医問題や女性差別など、最近ようやく大学病院における環境の理不尽さが表面化してきたものの、我慢ならずに医局を去る医者もまだまだ多い。
さらに「教授になりたい」という野望をいだいて、それが叶わずに医局を去った人間の怨念は深い。学会の幹部が作成したガイドラインに真っ向から反対し、自分の承認欲求を満たすことに必死になっている医師がいることもたしかだ。
もし、あなたを診る医者とコミュニケーションを交わす中で、大学の医局や標準治療を憎んでいるような言動や雰囲気を感じたら、個人的な恨みが原動力となって間違った治療法に走っている可能性を思い出してほしい。医者の歪んだ承認欲求を満たすために、あなたの健康を犠牲にしてはいけない。
たとえば「標準治療なんて知らなくていい」「大学にいる医者の言うことなど信じるな」など、現代医学の礎を否定する医者には要注意だ。そういうことを言う彼らも含めたあらゆる医者が、大学で医学を学び、標準治療をイチから勉強しているのだ。
「良いところもあり改善すべきところもある」というのが、「まともな大人の意見」だとぼくは思っている。全否定するということは「全否定しないと自分の気持ちを安定させることができない個人的な理由」があるのではないかと思われる。
それにしても、ニセ医学で名を上げている医者たちは、患者を苦しい目に遭わせて良心が痛まないのかと疑問に思う方もいるかもしれない。結論から言うと、ニセ医学に感謝する患者さんが一定数出てくるため、ニセ医学を実践する医者の良心の痛みは、承認欲求が満たされていく心地よさに覆い隠されていく。
先述した通り、アトピーは特別な治療をせずとも症状が落ち着く「自然寛解」がある病気だ。標準治療で快方に向かわずに、ニセ医療を施されたタイミングがたまたま自然寛解と重なった患者さんは、ニセ医療の熱狂的な「信者」になってしまう。
ニセ医療の多くはうまくいかず、目の前で患者さんを苦しめる。それでもニセ医療を継続できる医者の心は、「他の医者が診たらもっと苦しむことになったはずだ」という盲信に支えられていることが多い。歪んだ恨みを持ってニセ医学を実践する医者の承認欲求を正当化させるのが、アトピーの自然寛解なのだ。