公園は「親たちのピリピリした競争の場」 

 クララ・ジョルジュ氏は3児の母で「公園経験」が10年近くという、(一般利用者として)公園のベテランである。公園の不快な要素として大まかに2つ、「退屈」と「他の子どもの親たち」を挙げ、特に後者を「何よりも不快」として言及を進めた。彼女によれば公園は「親たちのピリピリした競争の場」と評される。ではどのように、よその親が不快に感じられるか。まとめるとざっと以下である。

1.、自分の子どもの一挙手一投足を大声で褒める。
2、自分の子どもに語るていで、自分の「きちんと教育に向き合ってる親ぶり」を周囲に示そうとする。
3、よその子を悪い例に挙げて教える。「例:あの子は裸足だけど、家によってルールは違う。うちは、裸足は危ないからダメ」
4、褒めるていのマウント。「例:おたくのお子さんはおとなしくてお利口ですね。うちはわんぱくすぎて小さい頃から遊具のてっぺんにのぼって――」

 そして、表立って語られはしないが、つまびらかにされるのは、公園が親たちにとって自己演出や評価、競争の場になっているという真実である。公園は「親と子」の機会を提供するだけの場ではなく、「親と、よその親(多数)」の構図が、親の数だけ発生している超緊張地帯でもあるわけである。

 ただ、これは人によって感じ方が違うかもしれない。上の例にならっていうなら、私は1はあまり周囲に関係なくするし、4は普通に褒め言葉として受け取ると思う。

 しかし嫌味に鈍感なたちで、誰かに言われてずっと思い出しもしなかった言葉が数年後突然思い出されて「あれは嫌味だったんだ!」と気づくことがあるくらいなので、嫌味やマウントを即時それとして受け取れる人に公園でのそうした交流は耐え難きものとなるのであろう。