数年後、イーノは自らのキャリアをスタートさせるうえで、この特異な音楽コミュニティがいかに重要だったかを回想している。曰く、当時の革新的、画期的なミュージシャンは皆、孤立して仕事をしていなかったという。皆アーティストやプロデューサー、ファンがつくる大きなコミュニティの一員であり、新しいサウンドやアイデアを求めてお互いを刺激し合っていた。イーノはこうした集団的な場(シーン)には天賦の力(ジーニアス)があると考え、それを「シーニアス」と呼んだ。

 僕もこの力を、身をもって体験したことがある。医学部時代、学生たちの競争意識がやたらと強いことが嫌だった。誰もが優秀な成績を収め、学術賞や研修医プログラムの枠を得ようと躍起になっていた。なかには行き過ぎた行動に出る者もいた。たとえば僕の知り合いの学生は、図書館で同じ専門書を何冊も借りて、その間、同級生がその本を借りられないようにしていた。

 このような環境に身を置いていると、人生は食うか食われるかのゼロサムゲームのように感じられてしまう。自分が勝つためには、他の人を蹴落とさなければならないと思えてくる。

 けれども、僕はやがて学んだ。競争すること以外にも、同じ立場にいる人たちと関わる方法はある。医学部は戦いの場ではなかった。僕たちは仲間であり、皆同じコミュニティの一員なのだ。その事実を理解すれば、1人でいるだけでは決して手に入ることのない、豊かな支えが得られるようになる。

「チームワーク」の意味を
見直すことになった実験

 では、この集団の力がもたらす感覚を日常生活の中に取り入れるにはどうすればいいのだろうか?まずは、「チームワーク」の意味を見直すという小さな変化から始めてみよう。

「チームワーク」という言葉からは、作業を公平に分担したり、誰かが行き詰まったときに助けたりといった「行動」を思い浮かべるかもしれない。もちろん、それはこの言葉の意味として正しい。しかし、それだけではない。チームワークは、何かを実際にすることだけではなく、そのことをどう捉えるかという「考え方」にも深く関わっているのだ。