元々、ホンダが日産との経営統合を狙ったのは、三部社長による“ホンダ変革”の仕上げの意味があった。21年に就任した三部社長は、いわゆるホンダの“脱エンジン車”宣言をして世間を驚かせた。三部社長は、自らを「逆風にこそ強いタイプ」といい、“変革”をキーワードにホンダの第二の創業期を宣言したが、必ずしもその改革が進んだとはいえない面もある。
確かに、三部社長は「孤高のホンダ」と言われていた自主独立路線から、一気に提携拡大路線へとかじを切った。ソニーグループとのBEV合弁会社の設立や米ゼネラルモーターズ(GM)との量販BEVの共同開発・自動運転の協業の深化などで、ホンダの変革を進めた。
だが、GMとの量産BEV共同開発は撤回されたほか、GMと進めていた自動運転タクシーの開発も軌道に乗らないものとなった。ソニーとのBEVもエンタメに特化したもので、そもそも生産規模は限定される。
しかし、ホンダも単独で生き残るのは容易でなく、結果的にホンダがやや拙速に日産の子会社化を図ったことでこの思惑が“破談”となった以上、別のパートナー探しも必要となる。三部社長は今年4月で就任5年目を迎える。四輪事業をカバーする高収益の二輪営業出身である青山真二副社長と共に、本田宗一郎・藤沢武夫の創業者コンビ以来、技術・営業のトップコンビとなったが、今回の日産経営統合が結果的に失敗に終わったことで、次のステップが正念場となる。日産とのパートナーシップで乗り切るのか、全く別のパートナーを探すのか、早急な回答が必要だ。
さらに、注目されるのが三菱商事を筆頭とするスリーダイヤが主導権を握る三菱自の今後の動きだ。ホンダと日産以上に規模の小さい三菱自が、両社の統合に乗れなかった影響は大きい。だが、仮に日産がホンダの完全子会社化されていたら、三菱自はホンダの孫会社に位置付けられ、日産以上に“自主性”を発揮するのが難しくなっていたかもしれない。日産との関係も含めてこちらも、今後の予断は許されない。
(佃モビリティ総研代表・NEXT MOBILITY主筆 佃 義夫)