日産 消滅危機#21Photo:Bloomberg/gettyimages

日産自動車の取締役会が「ホンダによる子会社化」の提案を拒否し、ホンダとの統合協議を事実上、打ち切ることになった。ただし、取締役会の決定は満場一致ではなく、ホンダ案に同調する向きもあったことがダイヤモンド編集部の調べで分かった。特集『日産 消滅危機』の#21では、「子会社化含みでもホンダとの協議継続」を主張した取締役2名の実名を明かす。議論が真っ二つに割れた背景には、日産のメインバンクであるみずほ銀行の“変節”があった。(ダイヤモンド編集部編集長 浅島亮子)

ホンダが日産に突き付けた最後通告
狙いは支配権拡大ではなく経営陣刷新

 わずか1カ月半での婚約破棄だった。

 2月5日、日産自動車の取締役会は「ホンダによる日産の子会社化」の提案を拒否し、ホンダとの経営統合に関する基本合意書(MOU)を破棄する方針を固めた。

 ホンダが日産に対し、統合スキームを従来の持ち株会社方式から「子会社化方式」への変更を打診したが、日産はその要求を受け容れることができなかった。

 子会社化が実施されたならば、ホンダと日産の隷属関係は決定的となることから、日産の拒否反応は殊のほか強かった。日産社内の衝撃は大きく、「統合破談のトリガーを日産に引かせるために、あえてホンダが強硬手段を講じた」(日産社員)と疑いの声が上がるほどだった。

 だが実際には、ホンダが強硬手段を選んだ真因は、他ならぬ日産自身にあった。ホンダが統合条件として日産に求めたのは、会社の膿を出し切る構造改革案である。その骨子は、経営層の大幅削減を前提にした人員計画と、工場や生産ラインの削減を前提にした生産能力計画を提示することだ。

 だが、日産の内田誠社長が提示するプランは、昨年11月の「ターンアラウンド計画」の延長線上の域を出ず、策定スピードも遅きに失した。業を煮やしたホンダの三部敏宏社長は、日産による自助努力による再建を諦め、子会社化のカードを切ることにした。

 ホンダは日産への支配権を強めたかったわけではなく、決断できない日産経営陣を刷新する荒療治として子会社化を選んだのだった。

 三部社長は「日産の救済はしない」としてきた従来方針を覆し、日産の人事に介入することで構造改革の策定・実行を主導し、そればかりか、日産の“負の遺産”を引き受ける覚悟を決めたのだった。

 日産の急激な財務悪化を懸念し、ホンダ経営陣でも日産統合に関する考え方が割れる中、三部社長が社内の抵抗勢力をギリギリ抑えつつも繰り出した、日産への最後通告だった。

 そして迎えた2月5日、日産の取締役会が出した答えは、「ホンダによる日産の子会社化を拒否し、統合交渉を打ち切る」というものだった。

 ただし、日産の取締役会は満場一致だったわけではなく、一部、ホンダの強硬手段に同調する向きもあった。取締役2名が、「子会社化含みでも、ホンダと協議を継続する案」に票を投じたというのだ。

 次ページでは、ホンダとの協議継続を主張した取締役2名の実名を明かす。実は取締役会の結論が真っ二つに割れた背景には、日産のメインバンクであるみずほ銀行の“変節”があった。