東大卒で山形の実家の米農家を継いだ米利休(こめのりきゅう)氏。SNSでは約15万人のフォロワーを獲得し、農業について発信している。そんな彼に米農家を継いだ理由や現場で感じる農業の問題点を聞いた。(清談社 沼澤典史)

東大在学中に起きた
実家の存続危機

実家の米農家を継いだ米利休氏実家の米農家を継いだ米利休氏

 日本の農家の平均年齢は69歳と高齢化が著しい。そんな現場に26歳で飛び込んだのが、米利休氏だ。東大出身の米利休氏は、2024年から山形の実家の農家を継いだ。その様子を「米利休」名義でSNSにアップしたところ、大バズり。Instagramのフォロワーは現在15万人を突破している。

 まずは、米利休氏に就農するまでの経緯を聞いた。

「僕は山形県の置賜地域の農家に生まれ、地元の中学を卒業後、仙台高等専門学校という5年制の学校に進学しました。そして、機械やプログラムなどの回路を専門的に学び、研究や開発がしたいと思って20歳で東京大学に編入したんです。大学ではマテリアル工学科に所属しており、主に太陽電池の研究をしていました」

 学生時代はコロナの時期にぶつかり、サークルや授業でもさまざまな制約があった。そこで、米利休氏は通販サイトの運営、SNSの運用などを始めたのである。

「基本的に外出禁止だったので、なにかしたいとウズウズしていました。そのときにオンラインでお金を稼げるのが楽しかったんです。その活動と学業の両立が難しくなり、半年間休学しました。大学を卒業してからも、就職はせず、SNSの運用など色々なことをしていました。研究職ではなく、自分でなにか人の役に立てる仕事ができたらいいなと思っていたんです」

 そこに舞い込んできたのが、実家の農家の存続危機だった。