法顕寺法顕寺(福岡県) 投稿者:hirolotti [2024年7月1日]

タイパやコスパ重視の「最速」「最短」で結果を求める気持ちが若い人中心に感じることがあります。そこには失敗を恐れる気持ちが強く働いているようです。経験は無駄にはなりません。極端を避け、豊かな人生を送りましょう。(解説/僧侶 江田智昭)

無駄なことなど何もない!

 今回は、2024年度「寺子屋ブッダ賞」から紹介します。

 一歩進んで二歩下がる歩んだ数はプラス3

 法顕寺(福岡・築上町)のこの作品は、浄土真宗本願寺派上毛組(そ)が作成したポスターになっています。講評は以下の通り。

「無駄なことなど何もない!」と勇気をもらいつつ、「物差し」に縛られている自分にも気付かされました。次世代に語り継ぎたい名作です。

 お釈迦さまは29歳の時に出家し、厳しい修行を実践しました。それは断食や呼吸を止めるなどの壮絶な苦行でした。仏教伝道協会発行『仏教聖典』(ホテルの客室などに置いてあります)に収載された「パーリ中部経典」の中には、その修行に関して次のように書かれています。

 それはまことに激しい苦行であった。釈尊(お釈迦様)自ら「過去のどのような修行者も、現在のどのような苦行者も、また未来のどのような出家者も、これ以上の苦行をした者はなく、また、これからもないであろう」と後に言われたほど、世にもまれな苦行だった。

 これらの言葉から想像を絶する厳しい修行だったことが分かります。しかし、お釈迦さまはあるタイミングで、そうした苦行を未練なく一切放棄します。おそらく苦行を続けることによってさとりが得られるとは思えなかったのでしょう。

 苦行を捨てたお釈迦さまを見て、他の修行者たちは堕落したと思ったようです。周りの修行者たちはお釈迦さまを冷たく見捨てて、他の地へ去っていきました。

 お釈迦さまは苦行によって衰えた体力をゆっくり回復させた後、菩提樹の下で瞑想に励まれます。そして、ついに35歳のときに菩提樹の下でさとりを開かれるのです。

 このプロセスを見ると、最初から苦行せずに瞑想に励んでいればもっと早くさとりを開けたと考える人がいるかもしれませんが、私はそうは思いません。苦行を実践し、自身の体感としてそれが無駄であると分かることが、おそらくお釈迦さまにとって必要なことだったのでしょう。

 このように、一見無駄に見えることが、実はそうではないということがあります。みなさんも自分自身の人生を振りかえってみてください。自分では無駄や失敗だと思っていた過去のマイナスな出来事が、年を取るにつれて、実は重要な出来事だったと気づかされることがあるのではないでしょうか。

 もしマイナスな出来事の後に個人的な学びや経験がなければ、価値観が一定のままで変化がありません。過去のマイナスな出来事はマイナスのままで終わってしまいます。

 しかし、人間は経験を経ることによって、物事の捉え方が大きく変化していきます。ですから、個人的にマイナスと感じる出来事があった後、自分自身がどのように動き、その動きの中からどのような気づきを得られるかが重要になってくるのです。

 どんな人にも辛い出来事が必ず起きます。苦しみの多い人生ですが、過去の出来事がプラスに変わるように、歩みや学びを止めないことが大切なのではないでしょうか。