1983年、岡山県の備中高梁で撮影された「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」を思い起こす。この作品の中で、渥美は顔色も良く、乗っているのがよく分かる。まさに「面白い寅さん」を演じており、シリーズ50作の中でも最高傑作という見方をするファンも少なくない。
この撮影の合間、実に興味深い出来事があった。宿舎に戻る途中で渥美は突然、車を止めさせ、仏具屋に寄り、自分と関の位牌(いはい)を作ったのである。当時2人は55歳。戒名はなく、渥美の位牌には「田所康雄之霊 昭和五十八年十一月二日 岡山県総社市にて 朋友関敬六と之を作る」と刻まれたが、関の位牌には本名ではなく、「関敬六之霊」とあった。
「あのときは気づかなかったのだが、渥美やんはなぜ、自分の位牌だけに本名を記したのだろうか。俺は本名の関谷敬二ではなく、なぜ関敬六だったのだろう」
関はそのとき作った位牌を私に見せ、こんな疑問を吐露したことがあった。たしかに振り返ってみると、おかしな出来事だ。渥美は当時、「こういうのは験のもので、生きているうちに作っておくと、逆に長生きするぞ」と関を説得したというが、このころからすでに自らの「死」を意識していたのだろうか。
渥美は、放浪の俳人・尾崎放哉にあこがれ、人知れず死ぬことを理想とし、戒名も望んでいなかった。位牌があれば十分と思っていたのだろう。
がんで細くなった首を隠して
「寅さん」を演じ続ける
60歳を過ぎ、がんを告知されてからは病的なまでに諦念が強くなる。周囲にこんなことを言っている。
「トンボのように、こう、ふらーっと、いつも自分の好きなところに出かけて生涯終われるんだったら、末は野垂れ死んでもいいんじゃないですかね」
「ひとり静かに、誰もいない山道をとぼとぼ歩いていくんだよ。そうすると、枯れ葉がね、チャバチャバと手品師の花びらのように落ちてくるんだよ」
だが、「寅さん」という架空の人物を演じ続けていかなければならない宿命が、彼を苦しめる。がんが進行し、四角いトランクを提げ歩くだけでも大変だったはずなのに、つらそうな表情を顔に浮かべることはできない。