私も末期がん患者となり、抗がん剤治療を受けているが、急激に痩せてしまい、首筋などは骨が浮き彫りになってしまった。抗がん剤治療の影響を受けた渥美について「顔が化石みたい」「顔が3分の2くらい」などと生々しい表現すら共演者から飛び出した。

 確かに、がん細胞というのはものすごいスピードで正常な細胞を壊し、体をむしばんでいく。抗がん剤の副作用で、あの甲高く、よく響く渥美の声もかすれがちになってしまった。

 寅さんに徹し、寅さんを愛した渥美は「寅次郎の青春」(1992年)の終わりごろから、首筋の衰えを隠すため、マフラーを巻くようになった。晩年の作品は出演できたこと自体が、ほんとうに「奇跡」に近いことだった。とはいえ、ロケの合間、笑顔を見せることはめっきり減り、サインや握手を求めるファンを無視することもあった。

「寅さん、愛想ないね」。事情を知らないファンから罵声が飛ぶ。「おい、天皇陛下だって手を振るぞ」と一緒に撮影していた関が渥美に注意したことがあったが、「もういいんだよ」と投げやりな答えしか返ってこなかった。

寅さんのイメージに
がんじがらめになった晩年

 1995年暮れに公開されたシリーズ第48作「寅次郎紅の花」まで作られた背景には「もう1作、いやもう1作」という世間の期待もあった。渥美の晩年は、日本人の誰からも愛される寅さんのイメージに縛られ、がんじがらめになってしまったような気もする。虚構の人物像に「命」を吹き込むことは俳優として理想かも知れないが、寅さんの場合は、演じる渥美清という俳優の命まで飲み込み、押しつぶしてしまった面は否定できない。

 友人の永や小沢昭一(1929―2012)がことあるごとに「寅さんだけが渥美清ではない。もっと広く、もっと深く、寅さんではない渥美清について語られるべきではないか」と憤慨していたが、たしかにその通りである。渥美が俳人の尾崎放哉や種田山頭火(1882―1940)を演じる企画を温めていた脚本家・早坂暁は「彼は大きなものを持っていた。彼を通して昭和を描きたかった」と話していた。