余命1年を宣告されてもミュージカルに出演し、腹水が溜まる中で舞台に立ち続けた川島なお美。女優の矜持を持ち続けた彼女は、舞台降板後わずか1週間で亡くなった。彼女が見せた女優としての生き様を紹介しよう。本稿は、小泉信一『スターの臨終』(新潮新書)の一部を抜粋・編集したものです。

「もっとできたのに……」
降板が決まり泣き続けた

 川島なお美は筆者より1歳上の1960(昭和35)年生まれである。ほぼ同世代と言っていい。だから、とても気になる人だった。昭和の高度経済成長期に生まれ育った我々の世代は、大学時代はディスコブーム。やがてバブルへと日本中が舞い上がってしまうが、心の奥底ではどこか満たされないものを感じていた。川島も同じだったに違いない。女優という仕事を続けるにあたり、与えられた役柄をどう表現すればいいのか、いつも貪欲に純粋に悩んでいたのではないか。

「だって私、女優だもの」川島なお美が余命宣告後も貫いた生き様とは余命1年を宣告されてもミュージカルに出演し、腹水が溜まる中で舞台に立ち続けた川島なお美 Photo:Jun Sato/gettyimages

 同時代を生きた彼女に一度お会いしてあれこれお話をうかがいたかったが、なぜか華やかに彩られた川島が遠い世界にいるような気がして(それは誤解だったのだが)、その思いは果たすことができなかった。

 なので、川島へのラブレターを書くような気持ちで彼女の人生を振り返りたい。

 まずは「余命宣告」について書いておきたい。余命宣告というのは本当に残酷なものである。生きていこうという純粋な希望を打ち砕き、患者を絶望の淵へと追いやる。

 川島は人間ドックで異変が見つかり、2014年1月、肝内胆管がんの腹腔(ふくくう)鏡手術を受けた。再発が発覚したのはこの年の7月。その際、「余命1年」と宣告されたが、彼女は最後まで女優魂を失わなかった。そのことを物語るエピソードを紹介しよう。

 まずは最後の舞台となったミュージカル「パルレ~洗濯~」から。この時、川島は腹水が5リットルも溜まる中、舞台に立ち続けたという。降板が決まった時、川島は「もっとできたのに……」と泣き続けた。「自分の中に甘えが出ちゃった」と自身を責めることもあった。その姿に胸が張り裂けそうになった夫でパティシエの鎧塚俊彦は、「もう十分だよ」となぐさめたという。