EV革命の真の立役者だった中国人とは?イーロン・マスクよりも歴史に残る“知られざる素顔”写真はイメージです Photo:PIXTA

欧州を中心に世界的に厳しい排出基準が定められ、自動車メーカーは今後EVの販売に軸足を移さざるをえなくなった。EVで世界的に有名なのはイーロン・マスクのテスラだが、実は中国の政治家・万鋼(ばんこう)がEV革命の立役者であることは知られていない。中国を世界最大の電気自動車製造国に押し上げた万鋼の功績を紹介しよう。本稿は、アクシャット・ラティ著・寺西のぶ子訳『資本主義で解決する再生可能エネルギー 排出ゼロをめぐるグローバル競争の現在進行形』(河出書房新社)を一部抜粋・編集したものです。

電気自動車の歴史が執筆されるなら
最大の焦点が当たるのは万鋼か

 万鋼は小柄だが、彼が話をするとテーブルを囲む10人全員が真剣に耳を傾ける。上海の豪華なホテルの、金色のシャンデリアに照らされた会議室で彼を取り囲んでいるのは、ゼネラルモーターズ(GM)、フォード・モーター・カンパニー、プジョー、日産自動車、本田技研工業、テスラ、といった世界的な大手自動車メーカーの幹部、加えて吉利汽車、長安汽車、上海汽車集団など、中国の自動車会社の重役たちだ。

 2019年4月にこの第8回中国自動車フォーラムが開催されたわずか3カ月前には、アメリカの電気自動車会社テスラが、上海工場の建設を開始していた。話の中心は、電動化に向かう業界の変革だ。経営者たちは、万鋼がここで話す内容が自社の運命を変えると認識している。

 過去140年間、多くの企業が電気自動車の大衆市場を作ろうとしてきたが、すべて失敗に終わっている。多くの人は、成功する者がいるとすれば、それは風変わりで野心的で嫌みなほど莫大な富を持つテスラの最高経営責任者(CEO)、イーロン・マスクだろうと考える。しかし、電気自動車の歴史が執筆されるとしたら、最大の焦点が当たるのは万鋼かもしれない。

 マスクとテスラのストーリーは、伝説に近い。2003年にマーティン・エバーハードとマーク・ターペニングがシリコンヴァレーで創業したテスラは、経営を軌道に乗せるのに苦労した。

 PayPalをはじめとするスタートアップの成功で財を成していたイーロン・マスクは、2004年にテスラへの投資を開始し、製品設計に積極的に参加する。その後、同社内の対立でエバーハードが追放され、マスクは2008年、同社が最初のモデル、ロードスターの販売を始めた直後にCEOに就任した。テスラはこのスポーツカータイプの電気自動車を約2500台販売したが、マスクが公言する目標は、大衆向けの電気自動車(EV)を作ることだった。車のモデルは、新しくなるたびに価格が下がり、販売数が伸びていく。