不幸を経験せずに
幸福になることはない

 幸福と不幸はよく、対極のものだと捉えられます。幸せが表で、不幸せが裏だと。まるでコインを裏返せば幸せになれるかのように。

 しかしそれは、あまりにも物やお金に支配された感覚だと私は思います。お金や物がたくさんあれば幸福で、少ししか持っていなければ不幸だと感じる。もちろん私はお金を否定しているわけではありません。でもそれは、人間にとって真の幸福につながるとは思わない。

 人間は基本的に不幸の中で生きている。私はそう考えています。「どうして私ばかりが不幸な目に遭うのだろう」「周りの人は皆輝いているのに、私には何もない」「ああ、もっと私も幸せになりたい」。こうした気持ちは、おそらくほとんどの人が抱えているのではないでしょうか。誰もが皆、不幸を感じながら生きているのです。

 齢を重ね、自分の人生を振り返ってみたとき、そこには幸福のかけらがたくさん落ちていることに気がつきます。「あの頃は大変だったけど、結構楽しかったなあ」「あの頃はお金がなかったけど、それでも幸せだったなあ」。私もこの歳になって、そんなふうに思うことがあります。

 つまり幸福というものは、後になってからしかわからないものなのです。今は不幸だと思っている状況でも、時が経てばそれが幸福だと思える。今を一生懸命に生きていれば、必ず不幸は幸福へと姿を変える。そういう意味で幸福と不幸は、表と裏ではないのです。

 不幸の中にこそ、きらっと光る幸せの種が落ちている。真の幸福とは不幸の中にこそあるもので、不幸というものを体験せずに幸福になることなどないと私は思っています。

人生の指針とも言うべき
母の言葉

 現代の日本の子どもたちは、物質的にとても恵まれた状況にあります。何でも欲しい物が手に入る。誕生日やクリスマスには高価なプレゼントを貰える。私が幼かった頃、母は自分が着古したセーターの毛糸をほどき、その糸で手袋を編んでくれました。忙しいなか夜なべをして、子どもたちの折々のプレゼントを編んでくれました。

 母の優しさがこもった編み物を貰ったときの心の温もり。それは今でも忘れることができません。そして何より、現代の子どもよりも幸せだったように感じるのです。