〈出自を知る権利〉は、生物学上の親の情報を知る権利として、1989年に国連総会で採択された「子どもの権利条約」にも記されている(日本は94年に批准)。昔と比べて最も変化しているのは、世界では医療者側が出生の事実を子どもに告知するのが推奨されるようになったことだ。しかし、日本では〈出自を知る権利〉が法整備されるどころか何十年も放置されてきた。

 2020年末、民法の特例で、提供精子・卵子で出産した親子関係について整理する法律が成立した。しかし、〈出自を知る権利〉の保障については、「2年をめどに検討する」と付則で定められるにとどまった。そして25年になってようやく今回の特定生殖補助医療法案が提出されたという流れだ。

 AID当事者の研究を長年続けてきた元慶應義塾大学准教授の長沖暁子氏は、同法案について、「このような法案を、〈出自を知る権利〉という言葉を使って紹介すること自体が、ミスリードになる」と指摘する。

「親や提供者は自分でこの技術を選ぶことができます。でも、生まれてくる人は選ぶことができません。だからこそ、生まれてきた人の福祉を考えて〈出自を知る権利〉が重要だと世界の潮流が変わってきているのです」(同)

 同法案のもう一つの問題点は、提供精子・卵子による特定生殖補助医療の対象を、「法律婚の夫婦」に限り、認定を受けた医療機関のみが実施可能とすることだ。違反に対しては、拘禁刑や罰金などの罰則も設ける。法案の検討過程では、事実婚や女性同士のカップルを対象に含める案も一時浮上したが、採用されなかった。

 この点について、すでに生まれている当事者が「違法な手段で生まれた人」と見られる可能性に、不安を感じているのもまた事実だ。法案が成立して施行されれば、事実婚の夫婦や同性カップルは精子・卵子の提供を医療機関で受けられなくなる。当事者団体などから反発や不安の声が上がっている。

 筆者はAIDで生まれた子や医療関係者などを世界中で取材し、『私の半分はどこから来たのか』(朝日新聞出版)を上梓した。その本を執筆した最も重要な動機が、日本で〈出自を知る権利〉が法制化されることだった。今回提出された法案には、当然この権利が保障されるだろうという期待があった。

 また、本では「家族観は変容し、LGBTQやシングルでも子どもを持つ時代だ」と提起している。実際、家族という形態は、現代社会において一つではなくなっている。しかし今回の法案は、まるで時代に逆行するような印象を受ける。筆者は、対象者を法律婚だけとすることに合理性はないと考える。

 当事者の期待を裏切るであろう法案は、はたして可決されるのだろうか。

(ジャーナリスト 大野和基)