僕が最初につくったのはこのロボットなんです。

 紹介されたのは、棚に並べられたうちの1つ、「家庭のテーブルの隅っこで新聞を読むお父さん」をイメージしたという、高さ20センチほどのロボット、というより人形のようだ。背骨にあたるところが大きなバネでできているため、内臓のモーターを駆動させなくとも触るだけでユラユラと揺れる。

この「ヨタヨタ感」が面白いと思ったんです。さらに、これをキョロキョロさせることで、生き物らしさが生み出せるんじゃないか。それがロボットづくりのスタートでした。

 岡田さんがロボットづくりに取り組むようになったのは、1990年代の半ばのことだった。それまでは音声認識の技術に関連し、「言い直し」や「言い淀み」といった「非流暢(りゅうちょう)性」の研究に取り組み、その応用で、スクリーン上でおしゃべりをするようなバーチャル・クリーチャー(編集部注:仮想生物)をつくる仕事にも従事した。

でも、スクリーンの中に生まれたクリーチャーに、なんとなくつながりを感じられない。彼が「助けて」と叫んだとしても、ぜんぜん助けようかなという気にならない。身を乗り出しちゃうような没入感とかリアリティがなかったんですね。

ロボットの素人だからこそ
生み出せたもの

 岡田さんはバーチャルな存在に限界を感じ、「実体のあるロボット」をつくってみたいと思うようになる。

僕はロボットづくりの“素人”だったこともあって、「役に立つロボットをつくろう」とはあまり思わなかった。「案内してくれるロボット」や「本を読んでくれるロボット」というアイデアは出てきても、「そんなものに囲まれたら気持ち悪いだろう」と思ったんです。

そこで、家庭のテーブルの隅っこで新聞を読んでいるお父さんのイメージで、何も役に立たないんだけど「そこにいないとなんとなく寂しい」という存在をつくってみたんです。「関係性を指向したようなロボット」という方向づけが生まれたんですね。

 関係性を指向する上でカギとなる“ヨタヨタ感”も、岡田さんがロボットの専門家ではなかったから生まれたのだという。