東急ハンズに行ってウロウロしながら、植木に使うようなものや、バネだとかを見つけて、部品になるいろんなものを集めて、手づくりを始めました。大きなバネをコンピューターでコントロールしてゆらすと、キョロキョロしてくれるんですね。

 不必要なことを削ぎ落としていっても、この「ヨタヨタ感」は最後まで残ります。生き物らしさや、心を感じられる要素は、すごく大切なんです。

「新聞を読むお父さん」は、岡田さんが最初につくった“ロボット”にして、その後の多くの「弱いロボット」たちにも共通する「関係性の指向」と「ヨタヨタ感」を兼ね備えていたのだ。

岡田美智男さん岡田美智男さん(同書より転載)

人間が持つ
「心を感じる条件」とは?

「ヨタヨタ感」が「生き物らしさ」につながるのは感覚的に分かるが、「弱さの価値」にはどうつながっていくのだろうか。

 岡田さんによれば、「人間には心を感じる条件のようなものがある」という。

私たち人間は、目の前に何か動くものがあると、次の行動や動きを読もうとします。それは何のためかというと、いわゆる危険予測、つまり襲ってこられたら困るからなんですね。

 それで、「こいつは次にどう動くだろう」と考えるときには、「こいつが仮に、意思や目的を持った生き物だったら」「誰かが設計した機械だったら」「物理現象として動くなら」と、仮定を設けるんです。

 一般論として、私たちは動くものに対して、生き物の意思、設計、物理のいずれかを投影しながら次の行動を予測するのだという。たとえば、山道を登っているとき、斜面を駆け下りてくるイノシシに気づいた場合と、落石が向かってくることに気づいた場合では、次の予測を立てる考え方がまったく異なるということだ。

 では、目の前にロボットがいた場合はどうだろう。