慶應義塾大学総合政策学部教授の中室牧子氏は、
「最近では、親の所得や学歴が子どもの教育の質に影響を及ぼす“教育格差”の認知度が上がっていますが、親が子どもに割く『時間』に格差が生じている事実は、あまり知られていません。体験格差は、親が子どものさまざまな体験のために割ける時間の格差ともいえます」
「体験に関するものは、母親が子どもの『勉強』に投資する時間(本の読み聞かせや宿題の手伝いなど)と、『体験』に投資する時間(お絵かきや屋外での運動など)の2つに分けて、かけた時間を計測しています。多くの国で調査が行われており、それらの結果によると、所得や学歴が高い親は『勉強』と『体験』に、多くの時間を割いていることがわかりました(注2)」と述べている。
しかし、貧困によって塾や習い事、部活動さえできない子どもがいる現状を伝えると、よく「贅沢だ」という主旨のコメントがつく。
家庭の所得によって、塾や部活、習い事ができない、修学旅行に行けない、といった格差について、「かわいそうだとは思うが、支援を受けるのはおかしい」「お金がないのに○○したいは贅沢だ」という声が多かった。
学歴のように将来の所得に直結するというわかりやすい数字の根拠がなく、体験の乏しさが与える影響が目に見える形で明らかになっていないからこそ、将来の所得に直結しない(ように見える)体験を求めるのは、ただの「贅沢」という扱いになってしまうのだと思う。
野球部は経済的に余裕のある
家庭しか所属できない?
以前、とある生徒の部活に関する記事で、野球部の道具代や遠征代が高く、続けさせるのが厳しいという親の声が取り上げられたことがあった。野球部はもはや経済的に余裕のある家庭しか所属できなくなっているという内容だった。
これに対して、ヤフーニュースの上位のコメントは「お金がかかるのは当たり前。野球などお金のかかる部活は贅沢だ」「お金がないなら選択肢が限られるのは当然」といったものだった。