人はつらい記憶にふたをする
繰り返しで装飾される危険

 私は以前、「引き揚げ文化センター」というものを作ろうとしたことがあります。

 録音機「デンスケ」を抱えて、長野県のいろんなところに通った。開拓民として満州(中国東北部)に行って、戦後に悲惨なかたちで引き揚げてきたという人たちを訪ねたのです。

 本当に大変な体験をしたに違いない人は、当時のことを話したがりません。「まあ、いろいろございました」みたいな感じ。「おかげさまで今は何とかこうやって生きとります」と。

 その人が絶対に言わないと封印した生の記憶を、ふたを開けて話させたらすごく迫力があります。ただ、かなり難しい。いわゆるルポルタージュのプロは、記憶のふたを開ける技術に長けた人なのでしょう。

 口をつぐむ人たちは、その当時のことをもう忘れたい。だから、話すことで悲惨な記憶が再生されることが嫌なのです。語らないまま、自分がどんどん忘れていくのを待っているわけです。

 一方で、講釈師のような手振り身振りで、ソ連軍の戦車が小学生たちをひき殺した惨状などを絵に描くように、ものすごく生々しく語る人もいます。

 そういう人の話は、どこかに修飾が入っている。つまり、話を盛っているところがあるんですね。繰り返ししゃべっているうちにどんどん話がうまくなっていく。だからかえって信用できないところがあるわけです。

 記憶を繰り返し語っていると明確になってくるけれども、必ず人工的な操作が入ってくる。この点には注意が必要でしょう。

 その意味で、いわゆる「おしゃべり」には気をつけたほうがいいと思う。何十遍も語っているうちに、どんどん装飾が加わって構成されがちですから。しかし、語らないわけにはいかない。

 ただ、臨済宗中興の祖と言われる白隠禅師は、著書『槐安国語(かいあんこくご)』の中で「君看よ、双眼の色、語らざるは愁なきに似たり」と記しました。

 意訳すると、あの人の目の色を見てごらんなさい。辛かったとか大変だったとか一言も口にしない。けれども黙っているだけに、心に抱いている悲しみ、痛みがそくそくとしてこちらに伝わってくるではありませんか。

 そういう場合もある。だから語ればいいというものでもないんですね。