人だけでなく日本もボケたのか?
広まる「歴史的健忘症」を憂う
今の記憶がはっきりしている。その代わり、昔の記憶は忘れている。これは「人」に限った健忘症ではありません。
たとえば、8月15日。私たちの世代にとっては、その日付を見聞きするだけでドキッとするような重さがあります。
今年の8月15日に、先の大戦関連の記事で埋め尽くされているだろうな、と思って全国紙5紙を広げてみたら、意外にもそんなことはありませんでした。体験談みたいなものでお茶を濁している新聞ばかりでワンパターン、拍子抜けでした。
戦争の記憶、敗戦の記憶を忘れようとしているというよりも、もう忘れられているのではないでしょうか。
5月1日のメーデーの紙面もそうでした。昭和27(1952)年5月1日に「血のメーデー事件」が皇居前広場でありました。一行ぐらい出てくるかなと思って5紙に目を通したけれども、ほとんどなかった。今のデモの報道もありませんでした。
「血のメーデー事件」は戦後を代表する大変な出来事です。日比谷公園にいたデモ隊が皇居に乱入しようとした。それで警官隊が、ピストルを上に向けて撃つ威嚇射撃ではなく、戦後初めて群衆に向かって水平射をした。主催者の発表によると、デモ隊側は死者2人、重軽傷者638人。警察側は負傷者832人でした。
私は当時、大学に入ったばかりです。駆けつけたら日比谷から有楽町まで煙が漂っていました。第一生命のあたりの自動車がもうもうと煙をふいていて、のちに思い返すと、ベトナムの戦場のような感じでした。
それだけの大きな出来事にもかかわらず、私の記憶には残っているけれども、今の5月1日の新聞には1行も出てこない。
もう血のメーデー事件を体験した人たちがほとんどこの世にいないのでしょう。その意味では、記事にならないのも当然と言えなくもない。
しかし、そういう過去を語れる人たちがいなくなっているとしても、これはいわば歴史的健忘症です。それをジャーナリズムが自ら進んで患っているような感じがする。この国はボケてきたのかもしれません。