『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(秋本治、集英社)の主人公・両津勘吉も、同じカテゴリーに入れるべきかもしれない。出世には縁がないものの、公務員として収入は安定しているし、しばしば失策をやらかして始末書を書かされているわりに、いざというときには人並外れた力を発揮するため、結果としては人の役に立っている。また両津も、賭け事のみならず、ラジコン、プラモデル、ゲーム一般と多趣味で、それぞれに一家言持っている。

 考えてみれば、『サザエさん』(朝日新聞社)の磯野波平も、いわば彼らの祖型である。第一線でバリバリ働いているという気配はないものの、「山川商事」という安定していそうな企業に勤務している。そして午後5時には退勤し、囲碁や盆栽などの趣味に時間を割いている。家族とのコミュニケーションも大事にしている。たまには、大酒を飲んでストレスを発散してもいる。こんな生き方も、決して悪いものではないのではないだろうか。

むしろ危険なのは
熱血サラリーマン

 昭和のサラリーマンたちが、令和の企業社会からは姿を消してしまったかというと、そんなことはない。現在においても、とりわけ大企業には、「働かないおじさん」と呼ばれる種類の人々が、少なからず棲息している。毎月従業員にお金を振り込まないといけない身となった私からすれば、ある意味で、「働かないおじさん」こそ理想的な職業人なのではないかと思うことすらある。

 たしかに「働かないおじさん」──つまり、一定以上の規模の企業で悪くない給料をもらっていながら、仕事へのモチベーションも低く、仕事のパフォーマンスも悪いような人たちは会社にとって厄介者だ。

 しかし従業員個人の立場からすれば、昭和時代を彷彿させる彼ら「働かないおじさん」こそが、資本主義社会における「勝ち組」のひとつのモデルなのではないだろうか。

「働かないおじさん」とは、大企業の安定性と悪くない収入を確保した上で、解雇されないギリギリのパフォーマンスを発揮し、人生を楽しむ生き方である。個人の生き方として、これ以上のものがあるだろうか。