逆に考えどころなのは、『サラリーマン金太郎』(本宮ひろ志、集英社)の矢島金太郎のような熱血サラリーマンである。金太郎のように結果を出せればいいが、こうした熱血サラリーマンタイプはスタンドプレーまがいのものが多く、かえって会社に損害を与えかねない危険な存在である。良かれと思ってとんでもないミスを犯したりもする。また、単に熱意があるだけの社員は自己顕示欲が強く、時として会社全体の和を乱す存在ともなりかねない。あるいは周りを疲弊させる。

 さらに個人のキャリアから見ても、熱血サラリーマンは中途で燃え尽きてしまう恐れがある。社長になれるかどうかは、運によっても大きく左右される上に、仮に社長まで上り詰めることができたとしても、大企業の場合、創業家や歴代社長、株主など睨みを利かせる存在が目白押しで、好きなようには振る舞えない公算が高い。熱血サラリーマンの辿りつく先として、こうした状況は厳しいだろう。「坂の上に雲があると思っていたら、雲は見つからなかった」といった結果に終わる可能性が高い。

 むしろサラリーマンとしては、なまじの出世などを考えずに、いかに楽をしながら会社に居座るかを画策していく方が得策である。そういう意味で「昭和のサラリーマン」は、E(従業員)にとってロールモデルとなりうる。

スキルアップや資格取得も
今や意味がない

 もちろん「ただ何もしなければいい」というわけではない。文字通り何もせず、生産性を発揮できない社員は、会社にとってはお荷物である。山岡も両津も、会社が必要とする「なにか」があるからこそ活躍できるのである。

 では、その「なにか」とは何なのか。多くの人はスキルだと考えるかもしれない。「キャリアアップのために」と思い、さまざまな資格を取得したり、特殊なスキルを磨いたりする人も少なくないだろう。しかし、スキル磨きは多くの場合、長く続かない。