ちなみに「カルト」とは、小規模で熱狂的な宗教団体のことを指しますが、往々にして反社会的な性格を帯びることがあります。
あるいはそうしたカルト宗教にのめり込まなかった人たちは、生きる意味や心の隙間を埋めるものを見出せないまま、自殺してしまうケースもあったでしょう。
90年代以降、1年間の自殺者が3万人に達するという悲劇が20年以上も続いてきたことと、宗教の存在感が薄れてきたことには、何らかの相関関係があるのではないでしょうか。
今の若者たちは
古事記を知らない
また、社会から宗教が急速に消えつつある日本では、映画や文学、さまざまな文章で引用されたり、メタファーとして使われたりするものも、西洋のように聖書由来のもの、つまり宗教に由来するものを使うことが難しい。
道徳や生きる指針というよりもっと身近な存在としての宗教、つまり「みんなが知っていて、『ああ、あれか!』と思うような、宗教に基づく教えやエピソード」がなかなか存在しないのです。
例えば日本書紀や古事記は、戦後も一定の教養としては存在していました。高度成長期の日本の景気を「神武景気」「岩戸景気」「イザナギ景気」と呼んだのは、日本書紀や古事記に由来するものです。
ところが今、「イザナギとイザナミの国生み神話」と言っても学生たちにはまったく通用しません。ベースとなる日本書紀や古事記が頭に入っていないのです。
私も、これらをあえてしっかり読んだわけではありませんが、そういう話があることは知っている。
ではどこで習ったのかと思い出してみると、学校で科目として習ったのではなく、子供の頃に読んだ絵本で知ったり、おじいちゃん、おばあちゃんとの会話の中で出てきたりといったところから、人物の名前やエピソードを覚えていったのではないかと思います。
現在は核家族化し、祖父母の代ですら古事記・日本書紀を読んでいない、知らない世代に入ってきていますから、いよいよ日本人の共通認識を支える土台が揺らいできていると言えるかもしれません。