第四に、神仏。神と仏が共存する姿も、いかにも日本流だ。幸之助翁が頻繁に神社仏閣に参拝していたことは有名だが、なかでも京都にある石清水八幡宮を崇敬していたという。石清水八幡宮の破魔矢からヒントを得た「M矢のマーク」を、松下電気器具製作所(現在のパナソニックの前身)の最初の商標にしたことからも、その傾倒ぶりがうかがえる。のちに、同宮の総代を務めている。
また、仏教では真言宗醍醐派の信者として知られている。同派の僧侶・加藤大観を自邸に住まわせ、のちに同社の初代祭司に任命した(パナソニックには現在に至るまで5代の祭祀がいて、社内社の祀りごとを司っている)。さらに幸之助翁は、京都東山の別邸・真々庵に、「根源の社」を創建。同庵に着くと社の前で合掌し、時に座禅を組んで黙考していたという。
信じる心が、真実に通じる。真々庵で祈る姿には、まさに「信化」から「真化」への道を歩む幸之助流経営の本質が凝縮されている。
稲盛和夫翁は65歳を機に
仏門に入り修行した
信じる心を大切にした経営者といえば、稲盛和夫翁の名前も必ず挙がってくる。京セラ創業時に、同郷の西郷隆盛の「敬天愛人」を社是に掲げ、「人間として正しいことを貫く」ことを、経営の判断基準(プリンシプル)に据えたことでも知られている。
僧侶となった経営者としても有名だ。1996年、65歳になるのを機に仏門に入る意向を明らかにし、翌年には臨済宗妙心寺派の円福寺で得度。頭髪を剃り、「大和」の僧名を授かる。在家のまま修行し、托鉢や辻説法をする姿も見られたという。
稲盛翁には、経営に関する数々の名著がある。筆者も『稲盛と永守』(日本経済新聞出版社)を執筆する際に、その多くに目を通す機会があった。なかでも『心。』(サンマーク出版)は、文字通り心を揺さぶられる名著である。
ご逝去の前年に出版された『信念を高める』(サンマーク出版)からは、信じる力の大切さを知らされる。ただし、生半可では通用しない。「『魂』のレベルにまで高められた信念だけが実現する」という言葉には、稲盛流経営の覚悟が示されている。