韓国国旗と東アジア地図写真はイメージです Photo:PIXTA

30年前、日本では“不良品が多い2流の安売りメーカー”と見なされていたサムスン。だがいまや、半導体分野で世界をリードし、日本企業をはるかに引き離す存在となっている。この逆転劇は、単なる価格競争や運ではなかった。会社が大きくなるため、そして日本が成長していくために必要なことを、我々はサムスンから学ぶべきなのだ。※本稿は、小柳建彦『ニッポン半導体復活の条件 異能の経営者 坂本幸雄の遺訓』の一部を抜粋・編集したものです。

三男の李健熙が父を説得し
サムスンを半導体事業へ導いた日

 李秉哲(編集部注/韓国語表記、李秉喆。サムスングループ創業者)はもともと、技術、ノウハウ、人材の欠如と投資規模の大きさを理由に、本格的な半導体事業への参入に長い間二の足を踏んでいた。

 秉哲の背中を押したのは半導体に本気で取り組むべきだと早くから唱え、後に秉哲の後を継いでサムスン・グループ会長になる、三男の李健熙だった。健熙自身が、最初は父親に反対されていたことを後に自ら回想している(注1)。

 健熙は1960年代前半、日本の早稲田大学に通いながら日本で急成長する電機産業の勢いを目の当たりした。ラジオやテレビ、ビデオデッキなどを分解しては組み立てて、部品構成や仕組みを研究したという。そうして、半導体などの部品を含めてエレクトロニクス機器に造詣を深めた(注2)。

注1 Kim Byung-wook,「Lee Kun-hee:Giant who took a leap forward」,The KoreanHerald,2020年10月25日.
注2 Tony Fu-Lai Yu, Yan Ho-Don,『Handbook of East Asian Entrepreneurship』,Routledge,2014年10月.