止まった日本と動き続けた韓国
結果3倍の差が生まれることに

 坂本幸雄が2002年にエルピーダメモリの社長に就いたときを思い出そう。エルピーダ(編集部注/NECと日立製作所のDRAM事業の統合を目的に、NEC日立メモリとして設立されたDRAM専業メーカー。坂本幸雄が社長を務めた)の生産委託先だった広島日本電気(NEC広島)の工場の生産規模は200ミリウエハーで月産1万5000~2万枚だった。坂本や他の業界人によると、その頃すでにサムスンは300ミリで月産10万枚規模のラインを稼働させていた。

 1990年代の設備投資の格差はここまで大きな差を作っていたのだ。

 日本のDRAMメーカーは市況悪化に苦しんでいた1997年ごろ、300ミリ工場の建設計画を相次いで凍結した。200ミリに比べて格段に投資規模が大きくなり、初期投資だけでも1000億円前後になったからだ。結果としては、300ミリ工場を稼働させた日本のDRAMメーカーは後にも先にもエルピーダのみとなる。

 2001年後半に相次いでサムスンやインフィニオン・テクノロジーズが300ミリウエハーによるDRAM量産を開始するなど、坂本の社長就任の前に、世界のDRAM産業は300ミリ時代に突入していた(注6)。つまり20世紀末までに日本の総合電機各社は、DRAMの設備競争で完全に落後していたのだ。

 坂本はこうも指摘した。

「今でも日本には半導体工場がたくさん残っていますが、全て規模が小さい。小さい工場を色々なところに分散して作ってきたからです。日本の総合電機メーカーは事業部長が代わると、新しい部長の出身地に工場ができるとよく冗談を言って笑っていたものです。工場が小さく分散していることが、日本の半導体の競争力が弱くなった根本原因の1つです。かたやサムスンは1980年代から大きいラインを複数まとめて作る大規模工場戦略を推し進めました。台湾企業も韓国のやり方に倣って工場は大きく集約して作りました」

 日本の半導体工場が小さく分散しているという問題は、今でも続く構造問題だというのだ。

注6 EE Times,「Samsung begins volume production in 300mm wafer fab」,2001年10月29日.インフィニオン・テクノロジーズ,「Infineon launches volume production ofsemiconductors on 300mm wafers」,プレスリリース,2001年12月1日.