批判的に考察すれば、ユーミンの楽曲が持つ「遠くにありながらも手が届きそうな」オーラもまた、それとよく似た「想像の空間」を提供したのかもしれない。現実世界の社会的制約へ直面した若い女性たちも、この空間においては、それらから解放されることができたのである。だからこそ、酒井順子(編集部注/エッセイスト)はユーミンに対する複雑な感情を吐露している。

 今思えば、ユーミンが見せてくれた(中略)輝きと永遠とは、私達にとって手の届かない夢でした。(中略)歌の世界に身を委ねることによって、私達は今よりももっと素敵な世界に飛んで行くことができましたし、未来もずっと「今よりももっと素敵な世界」が続いていくように思えたのですから。ユーミンに対しては「いい夢を見させてもらった」という気持ちと、「あんな夢さえ見なければ」という気持ちが入り交じる感覚を抱く人が多いのではないでしょうか。

 酒井は、このような現実逃避的な世界の創造をユーミンの「罪」と呼んでいる。ユーミンの「翔んでる女」というイメージもまた、彼女の結婚後に問い直されることとなった。

 女性の創造性と自立性を象徴し、新しい女性の生き方を体現しているはずのユーミンが、自分の名前を手放し、夫の姓を名乗ることに落胆した女性は多かった。(中略)中産階級の保守性に裏切られた思いがしたのだ。

女性の作曲家や作詞家が
頻繁に起用されるように

 しかし、ユーミンは最終的に、中産階級の規範に従うことはなかった。酒井や島崎(編集部注/島崎今日子、ジャーナリスト)の批判は、女性たちがユーミンの楽曲やパブリックイメージを、複雑かつ矛盾した形で受容してきたことを示している。

『14番目の月』は、女性ソングライターの流入によって、1970年代に音楽業界が経験した数多くの重要な変化を象徴する作品でもある。

 まず初めに、『14番目の月』は当初予定されていたような引退作にはならなかった。ユーミンは短い休止期間を経て活動を再開し、のちにはキャリアを終えるという当初の意図が「大間違い」であったと告白している。音楽制作に戻るという彼女の決断は、より広い社会領域へのシグナルでもあった。