「赤いスイートピー」(1982)や「小麦色のマーメイド」(1982)など、ユーミンが松田聖子のために提供したヒット曲は、彼女を全国的な人気者、そして1980年代において最も成功した歌手の一人にまで押し上げたのである。
ユーミンの成功例に倣うべく、多くのアイドルプロデューサーたちは、できる限り幅広い聴衆にアピールする曲を作るために、より多くの女性ソングライターを起用するようになった。このアプローチは成功を収め、竹内まりやが河合奈保子や岡田有希子のために提供した楽曲は、今ではアイドルポップのクラシック(定番の名曲)とみなされている。
また論者の中には、女性ソングライターたちの優れたスキルによって女性の視点が女性の聴衆たちに刺さったことを、1980年代にアイドルブームが起こった要因に挙げる者もいる。言い換えれば、音楽業界は「女性ソングライターの価値」と「女性オーディエンスの重要性」の双方を認識し始めたのである。
このような進展を踏まえて、女性たちは音楽制作の様々な分野へいっそう関わるようになっていった。
吉田美奈子や尾崎亜美のようなシンガー・ソングライターたちは、『14番目の月』でバックコーラスを担当したあと、自身のアルバムのみならず、飯島真理や早見優といった若いシンガー・ソングライターや歌謡曲歌手のアルバムをもプロデュースするようになった。
女性がより積極的に、音楽制作やマーケティングのポジションへ関わるようになったことで、日本のポピュラー音楽にあらわれる女性イメージも一層多様なものとなった。
そのレガシー(遺産)は、宇多田ヒカルや椎名林檎といった、次世代の女性J-POPシンガー・ソングライターの成功に見ることができるだろう。音楽評論家の田家秀樹は、彼女たちを「1990年代のユーミン」と評している。