つまり、仮にある人が企業の支援を受けて「リスキリング」したとして、それを企業はどう「評価」するんですか、という点です。さらにはどう「分け合い」(配分/処遇)に反映させるんですか、という点についての言及が、非常に限定的なのです。どう伝播させようか?の前に、何をもってその「成果」にするのか?の議論は不可欠ではないでしょうか。

 じつはこのパターンもおなじみです。何をやるか、どうやるか、どう啓蒙するか、はいつも議論されるものの、何をもって「成果」とするかはびっくりするほど議論の俎上に載りません。

「パーパス」「ウェルビーイング」「ジョブ型○○」「リモートワーク」あたりも、良し悪しや目新しいかどうかの価値判断は拙速なわりに、どういう具体的な状態をめざし、それを個々人の役割や職務に落とし込むか?は現場に一任されて息をひそめがちなのです。

 私は曲がりなりにもこれまで、多様な組織を見てきて思います。経営層やそこに近い人事部は絶えず旗振りをするものですが、社員はそう器用に乗っかれません。すると往々にして「チャレンジ精神」「主体性」などの言葉で労働者の能力・資質が問われるのが通弊だけれど、それは物事の一面にすぎないと。なぜ乗っかりきれないかって、それらの「成果」「評価」がけむに巻かれているからだと私は考えます。

 何らかの新しい概念や施策が流布されはじめたときに社員としては、その必要性をいかに説得されようとも、いざ努力したらどう評価され、処遇につながるのか?がある程度明文化されていないと、個人としてはなかなか労力をかけられないのが実際のところではないでしょうか。皆、暇ではないのですから。

リスキリング機運の高まりで
懐が潤うのは誰なのか

 リスキリングをとっかかりにして述べてきましたが、こうした労働にまつわる日本の議論を見ていると、「リストラ」の話も脳裏をよぎります。restructuringはその英単語のとおり、構造を見直すということです。

 日本以外のジョブ型雇用社会においては、事業の見直し(再編成)を指し示すことは疑いようのない事実ですが、日本ではどうでしょうか。会社にとって「お荷物」社員のあぶり出し、追い出しの含意があります。ジョブ型雇用が前提であれば、経営環境の変化に伴い、事業の再編成が起きれば、その事業に紐づく職務の整理は必至でしょう。