これはリスキリングブームにおいても例外ではありません。あやふやな定義のまま、それでも「頑張ってる(っぽい)」「自己研鑽を積んでいるらしい」かどうかで、評価するきらいが見え隠れしているように思えてならないのです。ただ考えてみてください。おぼろげなものをおぼろげに取り扱い続けていて大丈夫でしょうか。

 本来の意味でのリスキリングを本当に進めるのなら、労働移動の話がこの日本的な態度主義、すなわちは労働者の「やる気」の問題にすり替えられがちなことにせめて自覚的である必要があるのではないでしょうか。

 余談ですが、リスキリングの共起語を検索するのも一興です。「補助金」「助成金」の文字がずらり。お金の匂いがぷんぷん……これ以上は踏み込みませんが。

 さて、ここまで企業が取り組むべき労働移動を射程にした経営・人材戦略の話が、あやふやな定義に始まり、労働者個人の意欲の問題へのすり替えを経て、すでに眉唾感が出ていることを挙げてきました。現状の打開に向け、我々が本当に躍起になるべきは何か?を考え、本コラムを閉じてまいります。

「成果」の定義が曖昧だと
労働者も頑張りにくい

 先達の議論を参考にしてみましょう。リスキリングのこれからについて、ある民間の労働研究機関が経済産業省の検討会で発表した資料が手元にあります。

 リスキリングの本来の定義や、海外との比較、リカレント教育や学び直しといった似て非なる言葉との違いの説明などが並んでいて、「リスキリングの何が日本企業にとってチャレンジか?」で締めくくられています。そして、(1)どのスキルを教えるべきか?(2)どう教えるべきか?(3)どう(必要性を)伝えるべきか?の3つが要点だと。

 何を教えるべきか、どう教えるべきか、それをどう啓蒙すべきか、という意味では、一見すると妥当そうに見えます。しかし私からすると、肝心要の議論が抜けているように思えます。