その人たちは今、わたしがかつての過ちを正そうとしている、あるいはおそらく、若者特有のやんちゃ心が満たされたと思っている。
辞めたくなったのは仕事がきついから――長期にわたる展開、頻繁な移動、安い給料、そして危険のせい――だと思っているのだ。だが、それは間違いだ。わたしにとって、海兵隊将校であることの名誉と誇りは、目には見えなくてもあらゆる苦難に勝るものだった。
海兵隊の仲間の中には、わたしの決断がもっと個人的なものだと分かってくれた者もいた。時として指揮官の戦術的な能力よりも、ぴかぴかに磨かれたブーツの方に重きが置かれる階級社会で、わたしが心をすり減らしていたことを知っていた仲間たちだ。上の世代の隊員たちが20年かかったことを、あるいは一度も経験しなかったことを、自分たちは4年間で成し遂げたという思いがあった。
偉大な海兵隊指揮官のように
最も愛している者を殺せるか
将校が昇進するということは、事務仕事が増え、部隊との時間が減ることを意味する。わたしが海兵隊に入ったのは鉛筆ではなく剣を握るためだというのも、仲間たちは知っていた。そのとおりだ。だが、本当の理由はさらに深いところにあった。
わたしが海兵隊を去ったのは、戦いを好まない戦士になってしまったからだった。
海兵隊には勇者を思わせる隊員が大勢いる。脛鎧や胸甲の紐をきりっと結び、流血の場面へ分け入っていく男たちの持つ、あの謎めいた空気をまとった隊員たちだ。わたしはそういう隊員たちに尊敬の念を抱き、憧れ、真似をしたが、決してそうはなれなかった。
殺せと命じられれば殺せもしたし、誰にも引けをとらないほど戦闘の恍惚感に酔いもした。しかし、みずから選んであの立場に身を置き、それを生涯の仕事として延々と繰り返せるかというと、わたしには無理だった。
偉大な海兵隊指揮官は、偉大な戦士がみなそうであるように、みずからが最も愛する者を殺すことができる――自分の部下を。それが戦の原理原則だ。わたしは二度、それを逃れた。もうこれ以上、戦の神を試す危険は冒せない。