「普通は贈り物や手土産に米を渡すことはない」と本人は言う。それはそうだろう。だが、当時は「令和の米騒動」とされた時期で、スーパーの店頭から米が消えていた。米をくれる人はありがたかったのである。

 贈り物や手土産を渡すことを軽く考えてはいけない。自らの情報収集能力やセンスが試される。岡藤だけでなく、地位や肩書がある人間ほど、手土産、プレゼントを真剣に検討しているのである。

 逆にお礼状、プレゼント、手土産に無関心な営業マンは損をしている。手土産ひとつでシーンを変えることができるとわかっているのが本当の商人だ。

社内での説得においても
ちょっとした手土産が効果的

 岡藤は社内への説得であっても、手土産は効果があると言う。

「みんな人間だ。モノをもらえば嬉しい。僕が人に贈り物をするのはモノで釣って人の心を左右しようといった卑しい心根からではない。浪花節的な挨拶です。社内の人間でプランに反対する人を説得する場合、論戦を挑んでも仕方ない。また、反対する人は立場があって反対している。ノーがイエスになることはない。だが、黙っていてくれることはある。そういう風にしてもらうには説得だけでは相手は変わらない。説得と浪花節とちょっとした手土産。簡単なお菓子でいい。手ぶらで行くのと、お菓子を持って行くのではぜんぜん違うよ」

 岡藤は社外、社内を問わず、交渉ごとに通じてきた。反対している人の元へは自ら足を運び、話をし、頭を下げ、丁寧に説明した。そうすれば反対していた人は岡藤の立場に同情して計画を支持するか、あるいは採決に加わらないような態度を取ってくれる。

「ちょっとした手土産はアイスブレーカーでもある。お菓子でいいけれど、あるとき僕は先輩のおじさんに伊藤忠で扱っているハンドクリームをきれいに包んで持って行ったら、その人、なぜか態度がコロッと変わった。おじさんにハンドクリームを上げると喜ぶんだなとわかった」