共産陣営はあらゆるメディアを使い
敵の内部に容共世論を形成する
共産陣営の対日宣伝活動を深掘りした(14)、(18)も興味深い資料である。
(14)は、中共の対日宣伝活動として出版活動、放送・通信活動、映画・演劇活動、在日華僑活動について詳述している。
例えば、出版活動では日本語版「人民日報」に特に注目し、各書店は約4割の破格の手数料に釣られ、喜んで店頭に並べていると書いている。そのほか日本に輸入されている図書についても別表を作り、輸入販売にあたる極東書店、内山書店などの営業状態にも言及している。
これも表紙に「秘」とあり、作成者の記述はない。作成年も書かれていないが、放送・通信活動として、1952(昭和27)年から1955(同30)年まで放送されていた非公然組織の地下放送局「自由日本放送」を取り上げていることや、1954(同29)年のアメリカ水爆実験による「ビキニ事件」に触れていることから、1954年頃に作成された可能性が大きいと筆者は考えていた。
さらに調査を続けたところ、1954年の「志垣日記」(編集部注/吉田茂首相が1952年に内閣総理大臣官房調査室を新設した際のメンバーの1人、志垣民郎が日々の仕事などを綴っていた日記)に「『中共の対日謀略宣伝の実態』について出版、放送、映画演劇、華僑等につき書く」などの関連する記述が6カ所ほど見つかり、志垣民郎らが1954年8月に作成したことが判明した。
(18)は、1955年第4・四半期(10月~12月)の共産陣営対日宣伝放送を総括したものである。具体的には、ソ連放送(モスクワ)、中共放送(北京)、自由日本放送、北鮮放送(平壌)の対日関係正常化の呼びかけに注目し、中共放送が最も攻勢をかけたなどと述べている。作成者は公安調査庁、作成年は1956(昭和31)年で、「庁用」の扱いになっている。
共産主義国の前に丸裸同然で
立たされた吉田茂の危機感
では、これらの資料から何が読み取れるだろうか。まず気づくのは、内閣総理大臣官房調査室が、外務省、公安調査庁や海外メディアなどの広範な資料を収集していたことである。
吉田首相の意を受けた治安対策が省庁の壁を越えて相当程度機能していたと見るべきであろう。