それらを、当時進行中だった諜報活動(表1(2)(3)(4)(13)(14)(15)(16)(17)(18))、戦前の諜報活動(同(1)(5)(6)(7)(8)(9)(19)(20))、中ソ引揚者調査(同(10)(11)(12)(21))の3つに分類し、精査したところ、いくつかの特徴があることに気が付いた。
香港から密入国した工作員が
日本国内で台湾と暗闘
活動中だった諜報活動の資料群から浮かび上がるのは、『平和条約の締結に関する調書』などの外交文書からはほとんどうかがえないけれども、当時、日本を舞台に中共(編集部注/中華人民共和国の略。1972年に国交を結ぶまで、中国大陸の国家を日本ではこう呼んだ)やソ連が激しい諜報活動を展開していたことである。
まず文書(2)は、中共が日本に留学した学生に工作するため、黄異という香港在住の人物を責任者として日本に密入国させ、横浜中華学校で暴力事件に先鋭化した中国留学生の共産党運動に指令を出していたというものである。
黄異は無一文で日本に潜入し、60万ドルをインドネシア銀行香港支店に払い込み、東京支店で払い戻して、運動資金に注入していたという。
資料の作成者は、資金が外国銀行を利用して合法的に注入されることから銀行の監視を訴えている(文中の横浜中華学校の暴力事件は、1952年に大陸系と台湾系に分裂した「学校事件」を指すと見られる。この事件は「華のスミカ」として2020年に映画化された)。
(3)は、中共が特派した女性工作員、呉貴芳が東京に潜入し、東大新聞班勤務の薩漱芳という女を買収して、中国人に対する各種情報を蒐集させているというものである。薩の祖父は中国海軍司令、父も国民政府海軍部次長だったが中共解放時に横死した。
本人は上海の高等師範を卒業後、「国民政府」に従って台湾に渡り、英語教師をしていた。昭和26年に来日して勉学中だが、上記の家庭環境から学費にも窮する有り様で、呉に金銭的に獲得されたとしている。
(4)は、東京都杉並区上荻窪在住で中国・青島出身の中共党員、王可光(別名・王心如)一派の盧兆堂と徐連智という2人の人物の経歴や交友関係者、活動状況などを表にまとめたものである。