要するに、いただいたものは大切に覚えていて、与えたことはサラッと忘れてしまいなさいという教えです。

 どうしても人は逆に考えてしまいます。

 誰かに与えたことはしっかりと覚えていて、誰かからしてもらったことはすっかり忘れてしまう。

 そうではなくて、与えたことは忘れて、してもらったことは忘れない。

 これを心掛けておくと、相手が喜ぶだけでなく、実は自分が悩んだり捉われたりせずに、心地よく生きることができるようになるのです。

「こんなに愛してるんだから愛されたい」
→それ、愛じゃないよ

 夫が愛してくれないと感じるのは、自分が愛を与えているのに、それに応えてくれないから嫌だと捉えることもできます。

 私はこんなに好きなのに、相手は全然好きになってくれない。

 残念ながら、相手の好きという気持ちは、自分がどうこうできるものではありません。

「愛されるよりも愛したい」という歌詞や言葉も聞きますが、まさにこの境地で、自分が相手にできることは「自分が愛すること」のみです。

 それにたいして見返りを求めているうちは、本当の愛ではありません。

 たとえ愛されてなくともいいじゃないですか。

 そもそも自分がこんなに愛したことが、とても尊いことなのだから。

 それだけ愛せる人に出会えることも、まさに奇跡的なことです。

 まずは自分が愛していることが、とても尊く幸せなことであるということに気づくと、少し心が楽に生きられるように思います。

 仏教では、愛のことを「慈悲」といいますが、慈悲はまさに無償の愛です。

 見返りを求めてしまうと、もう慈悲とは呼べず、それは取引やビジネスのものになってしまいます。

 愛は欲しがるのではなく、自分が愛を吐き出す。泥水を養分として咲く真っ白な蓮の花のように。

 欲しがると手に入らない世の中だからこそ、自分が尽くした先におのずと幸せは天から降ってくることを楽しみに、自分の気持ちに正直に生きていきたいものです。