これは夫婦に対する考え方も同じで、いくら結婚の誓いを交わしたとしても、永遠に続くものはなく、常に移り変わるものとして考えなければなりません。

 そのため、夫婦のあるべき姿というものはなく、10組の夫婦がいたら10組の夫婦の姿があり、そこに理想の形などはないわけです。

 週末だけ一緒にいる夫婦も立派な夫婦、常に毎日一緒にいる夫婦も立派な夫婦。

 あるべき姿などないので、逆に言えば、それぞれが生きやすく過ごしやすい夫婦でいることが、理想の夫婦の形と言えます。

「べき」に囚われずに
できる範囲で助け合う

「〇〇すべき」とか、「こうあるべき」という「べき」というのは危険な言葉で、それにこだわってしまうと人は苦しみを生じてしまいます。

 妻は家事をやるべき、夫も洗濯をするべきなど、妻や夫という立場によって、一括りしてしまうのも、悩みに陥りやすい考え方であるわけです。

 近年はイクメンなど、育児を男性も行うことを推奨する言葉や風潮も増えています。

 もちろんこれは悪いことではなく、男女共働きが当たり前となり、男女平等化社会を目指すうえでは、とても重要な取り組みです。

 しかしながら、そういったイクメンという概念がなくなることが、本当の平等化社会のはずです。

 イクメンという概念が成立する時点で、女性が育児をすることが前提で、それに男性も積極的に参加することを推奨している考え方に陥ってしまいます。

 そうではなくて、男性も女性も育児をして当たり前。夫も妻も働いて当たり前。そしてそういったお互いの当たり前に感謝をして生きる。

 これがどちらの固定概念もなくした理想の男女関係ではないでしょうか。

 残念ながら、人間は迷う生き物で、完成された存在ではありません。

 そのため、夫婦生活においても、向き不向きもあれば、苦手分野もあり、やりたくないことも多々生じます。

 それを男性が女性が、夫が妻がとしてしまうから、理想の夫婦像というものも生まれてしまいます。

 そんなものは最初からない。理想の夫婦の形なんてものはなく、それぞれの異なった人間が共同生活を送る。そのためには、お互いの弱点を補って、助け合わないとうまくいくはずがありません。