けれども、仏教では、自分にとってマイナスな出来事、自分に嫌なことをしたり、嬉しく感じられない出会いであっても、それもすべて大切なご縁であると説いています。
奈良の薬師寺の管主を務められました高田好胤師の法話に、「逆縁の恩」というお話があります。
仏教のご縁には、順縁と逆縁があり、順縁というのは、お世話になった人や善くしてもらったことにたいして、純粋に恩を感じること。そして、逆縁というのは、たとえ嫌なことや悪いことをされた人にたいしても、それを恩として受け取って感謝をしましょうという、少し難しいご縁の考え方です。
かつてひどいことをされたが
そのおかげで今の自分がある
ある時、武将である主人に仕えていた武士が、その主人の履物を温めていました。主人が用事を終えて履物を履こうとすると、その温もりに驚きます。
するとその主人は、仕えていた武士がお尻に自分の履物を敷いて座っていたと勘違いをして、その履物の下駄で武士の眉間を叩き、武士は眉間を割られてしまいました。
額に傷があっては武士を続けられないと、その武士は出家をします。その後、懸命に修行をして出世をし、立派な僧侶となって修行僧を指導するような老師さまになりました。
その老師の元に、なんと昔自分の眉間を割った元主人が、何も知らずに会いにやって来ました。
近くに偉い和尚さんがいると聞いて、会いたいとやって来たわけです。すると、その老師の眉間に傷があるのに気づいて、その元主人は尋ねます。
「その傷はどうされた傷ですか。ぜひ、昔の武勇伝などをお聞かせ願いたい」すると老師は、「実は私は昔、若い頃のあなたに下駄で眉間を割られました。けれども私は一切恨んでおりません。なぜなら、その出来事によって、私は仏教に出会えて、これだけ仏道に励めて、老師になることができたのです。ですので、私はあなたに感謝しています」と。