それを知った元主人は、「それは本当に申し訳ないことをした。どうか、許してほしい」と老師に伝えたが、老師は気にもとめず、以後も会話を楽しんだ。

 というお話です。

 この話を聞くと、信長公と秀吉公の履物を温める逸話も思い出します。

 信長公は履物を温めていた秀吉公を評価し、出世をさせたことで秀吉公はそのご恩に感謝をしたというまさに順縁の恩の話です。

 けれども、先の眉間を割られた武士は、まさに逆縁によって、それを自らの叱咤激励に変えて、一所懸命に修行することによって違う道を極めることができ、そのご縁に感謝をすることができたという恩の話になります。

苦手な人からもなにか学べるかも?
出会ったからにはきっと意味がある

 長い人生を歩んでいく中では、自分にとって都合の良い人や事だけに囲まれて生きていくことはなかなかできません。どうしても性格が合わなかったり、生理的に無理と感じる人も現れてしまいます。

 けれども、それをずっと、嫌な人、苦手な人、自分にとって都合の悪い人で終わらせていたら、その人と過ごす時間が、まさに無駄になってしまいます。

 苦手な人や嫌な人がいる人が、返ってその場に刺激が与えられるかもしれません。

 今その瞬間は確かに嫌かもしれないけど、後になって考えてみたら、「その人によって自分は成長できたのかもしれない。その嫌な出来事によって、自分はこんなに変わることができた!」と思える日が来れば、それは逆縁ではあっても、かけがえのないご縁になるかもしれないのです。

 職場に嫌な人がいるからこそ、別の嫌な部分が見えないのかもしれませんし、その人のほんの少しの優しさや、ちょっとした気遣いに触れるだけで、ふと幸せを感じることができるかもしれません。

 私も修行時代に嫌なことをされた思い出は、決して消えることはありません。

 当時、苦手に思っていた人が、今では得意になることも、おそらくありません。できることなら、「今でも会いたくない」と正直に思います。