経営の本質は、インクルージョン、すなわち求心力をいかに強化するかにある。そしてそれこそ、日本企業が伝統的に大切にしてきたことだったはずである。個々の力にはばらつきがあり、かつ世界超一流の人財はごくわずかしかいない。しかし、ワンチームになった時にパワーが炸裂することは、野球にせよ、サッカーにせよ、スポーツの世界では証明ずみだ。
日本の会社が世界最強だった時には、やはり組織力こそがパワーの源泉だった。しかしいまやすっかり自信を失い、挙句の果てに、「ジョブ型」などという和製英語を持ち出してきて、専門人財の採用や育成に舵を切り始めている。
ジョブ型よりもメンバーシップ型が
社員を育てる!?
いわゆるジョブ型雇用で外部から採用しても、市場価値の高い一流人財は、より魅力的な機会を求めて、その組織に留まることなどない。筆者は、そのようなイケていない会社を「回転ドア型」と揶揄している。入ったと思ったら、すぐ出ていってしまうからだ。多様な潜在力のある内部人財をせっかく専門人財に仕立てても、外部市場に出ていくのがオチだ。
言い換えれば、リスキリングなどという軽率な名の下に専門スキルを身につけさせても、人財流出に歯止めはかからない。もっとも、初めから外に放出したい人財に、市場価値を少しでもつけさせて追い出したいという隠れた意図があるのならば別の話だが。いずれにしても、本末転倒もはなはだしい。
求心力を高めるためには、「キャリア型」でなければならない。同質のスキルを磨くのではなく、学習と脱学習を繰り返すことで、異質な成長機会を提供できるかどうかが問われている。
その企業で守破離を実践することにより、自分の未知の可能性を開花させ、未来のキャリアをシェイプし続けられるかどうか。これが、成長意欲の高い人財にとって、その会社に居続ける唯一最大の理由となるはずである。いまや「昭和型」として揶揄される「メンバーシップ型」のほうが、はるかにそのような要件に近かったはずだ。
もちろん、昭和型の日本流に固有の課題があったのは事実である。大きく2つ。
一つは、「外」より「内」を大切にしようとする傾向。それが自前主義、内向きの意思決定、現状維持へのこだわりという悪癖につながった。もう一つは、生ぬるい「仲間意識」。切磋琢磨というより、互いに傷をなめ合うような庇い合いが生まれ、同調圧力が横行し、対立より「丸く収める」ことに重きを置く企業風土がはびこっていった。
この2つは実は同根で、真因は「同質のインクルージョン」パワーが強すぎたことにある。だからといって、それをすべて否定して、「ダイバーシティ(異質)」へと180度舵を切ったところで、課題解決にはならない。真に求められているのは、「異質のインクルージョン」である。それはシュンペーターがイノベーションの本質と唱えた「異結合」にほかならない。