斎藤知事を支持したのではなく
マスコミに反発したかっただけ
どうして多くの有権者がマスコミよりもSNSを信用したのか?なぜマスコミは、SNSほどには有権者に強い影響を与えられなかったのか?マスコミが報道した情報の内容やマスコミの情報の伝え方に何か問題があったからではない。
マスコミが――SNSに比して――拒絶されたのは、まさにマスコミだったからである…というのが私の仮説だ。
マスコミは、SNSのユーザーから見れば、羨望の対象でもある。初めから何の努力もせずに膨大な数の「フォロワー」がいる…に等しい状態にあるからである。

SNSのユーザーにとっては、マスコミは、まさにマスコミであることにおいて既成支配層の一部である。マスコミが権力に対して批判的であったか、それぞれの新聞や放送局がどのようなイデオロギー的な立場にあったか、などということはまったく関係がない。
たとえ政治権力に対して批判的であったとしても、マスコミは、SNSのユーザーから見れば既成支配層に属している。
トランプを支持したアメリカの有権者は、既成支配層のリベラルな主張、民主党的なリベラルの理念にうさんくさいものを感じた。
これと同種のうさんくささ、同種の不信感を、(多くの)兵庫県の有権者はマスコミに対して抱いたのである。