社会的な縛りがなくなるのだから「第2の青春時代」ともいえる
この先の人生に対して不安を感じると同時に、期待を寄せる面もあるのではないだろうか。これまでは仕事にしろ家族の世話にしろ、やるべきことに縛られ、自由にならないことが多かったはずだが、そんな役割から解放されるのである。
これまで必死に働いてきたのだし、これからはのんびり過ごすのも良いかもしれない、それが許されるのだからという人もいる。もういい加減のんびりしてもいいだろうというわけだ。
社会的役割は十分果たしてきたと思うし、これからは好きなことをして楽しむ時間ができると思うとうれしくてたまらないというように、「役割喪失」を「役割からの解放」として前向きにとらえる人もいる。
これからは家族のために稼ぐ役割から解放されるので、これまで我慢してきた本当にやりたかった仕事にチャレンジしてみたい、という人もいる。家族の生活が自分の収入にかかっていると思えば、十分な稼ぎにつながるかどうかわからない転職などできなかっただろうが、そうした重荷がなくなれば、稼ぎよりも「やりたいこと重視」で生活を変えることができる。
社会的縛りがなくなるこれからの時期は、第2の青春時代ともいわれるし、自由が手に入るので、今からワクワクしているというように、非常に前向きにとらえる人もいる。やるべきことが決まっていないということで不安になる面もあるものの、それは何をしてもいい自由が手に入ったということでもある。そんな状況は青年期以来だという人も多いのではないか。
そうかと思えば、「人生100年時代というし、まだまだ若い人達に負けない。引退せずに再雇用などで仕事を続けて行こうと思う」という人もいる。
納得のいく人生にするために「自分の伝記を振り返ってみる」
これからまだ20年、いわば生まれてから成人するまでくらいの年月が続く可能性があると思えば、余生などといっていい加減に過ごさずに、自分らしい人生、納得のいく人生にしていきたいと思うのももっともなことだろう。では、どうしたらいいのか。
ここで大切なのは、これまでの人生を振り返ってみることだ。自分らしく生きるためのヒントは、これまでの人生の軌跡に刻まれているはずである。仕事一途に生きてきた人も、子どもを始め家族の世話に必死になって生きてきた人も、過去をじっくり振り返る気持ちの余裕はなかったかと思うが、そろそろ振り返る時期が来たのではないだろうか。
伝記というと著名人のものと思われがちだが、私たちはみな自叙伝を記すようにして日々を生きているのである。自分の人生史が記されている記憶を自伝的記憶という。そこには幼い頃の出来事や思い、青春時代の出来事や思い、働き盛りの頃の出来事や思いが刻まれている。心温まる懐かしい出来事もあれば、悔やんでも悔やみきれない出来事もあるだろう。感謝の気持ちで一杯になる出来事もあれば、悔しくてたまらない出来事もあるだろう。有頂天になることもあれば、どん底の気分に落ち込むこともあったかもしれない。幸福感に満ちた時期もあれば、悩みに押し潰されそうな時期もあったかもしれない。