録画も見逃し配信もなく
どれを見るかは親父次第
どの家庭でもテレビはだいたい茶の間に1台あるだけで、そのため家族の多い家ではチャンネル争いがよく起きていた。例えば3人きょうだいの家であれば、決定権は父親―長子―次子―末子の順にあり、末子が好きな番組をみられるのは、年上の人間とたまたまみたい番組が一致した時か、誰もみたい番組がない時だけであった。
「頼む、5分だけ○○みせて」などといいながら、無理やりチャンネルをカチャカチャ回したら(当時はリモコンなし)、「あ、いいとこだったのに何すんだ!」「ふざけんな、コノヤロー」とかいわれて兄に殴られたりする話もよくあった。そのため、どうしてもみたい番組がある時は、近くの電器店か中華料理店に行くのが最後の手段となっていた。
チャンネル争いはたまに殺人事件にまで発展することもあって、1978(昭和53)年には埼玉県与野市で、中学2年生の兄が『さるとびエッちゃん』(日本テレビ)、小学6年生の妹が『みつばちマーヤの冒険』(TBS)をみたいといい出してケンカとなり、兄が妹を果物ナイフで刺殺している。
また、1980(昭和55)年には徳島県でも「アニメがみたい」という弟と「バレーボール番組がみたい」という姉が対立し、弟が姉を父親の猟銃で射殺した事件があったりした。
今となっては、若者たちのテレビ離れが進んでいるし、それでなくても2~3台テレビがある家が少なくない。録画もできるし、TVerなどで見逃した番組もみられるので争いなども起こりようがなくなっている。あの凄まじく殺気立った状況は、現代の若者であればもはや理解できないことであろう。
過激ドッキリで警察が出動し
さらにエスカレートする始末
昭和の時代には、とてつもなく過激なドッキリ番組が放映されていた。
まず思い出されるのは日本テレビの『元祖どっきりカメラ』(編集部注/1969年から1989年まで日本テレビ系列で放送されたバラエティ番組)である。一般人や芸能人を対象にイタズラを仕掛けたり騙したりしてその反応を楽しむという内容で、最後には俳優の野呂圭介が「NTV元祖どっきりカメラ」の看板を持って登場し、ネタばらしをすることになっていた。