吠えるクマ写真はイメージです Photo:PIXTA

日本列島各地で出没するようになったクマ。人命が奪われる被害も出ている。「クマは精鋭の特殊部隊員みたいなもの」と評する猟師もいるほど、クマは賢い。そもそもクマと遭遇しないためにどんな備えがあればいいのか。猟師歴50年のベテランに話を聞いた。(フリーライター 伊藤博之)

ヒグマに頭を噛みつかれて
「ガリガリ」という音が響きわたる

「止(と)め足」――。ヒグマの行動特性の一つで、いままで自分が歩いてきた足跡をたどりながら後退し、ある時点で急に別な場所に跳躍して身を潜め、追跡してくるものを攪乱(かくらん)させてしまう行動のことである。

 古(いにしえ)の時代から続く熾烈(しれつ)な生存競争をくぐり抜け、北海道の森林生態系の頂点に立つようになったヒグマが、その長い歴史のなかで自ずと身に付けるようになった知恵なのかもしれない。

「ベテランの猟師であれば、止め足のことを当然知っています。雪上に残された足跡をたどっていると、止め足をしたことがわかり、ヒグマに対する警戒を強められます。でも、足跡がつきにくい時期に、手負いのヒグマの駆除を依頼された先輩の猟師がいます」

「点々と続く血の痕をたどりながら、1メートル進んでは止まって周囲を確認し、ゆっくりと慎重に山中に分け入っていきました。しかし、それだけ警戒していても、賢いヒグマは先輩猟師の後ろに回り込んで、後ろから襲いかかったのです」

 北海道紋別郡西興部村で生まれ育ち、50年もの猟師歴を持つ中原慎一さんがヒグマの恐ろしさを象徴する話を語ってくれた。

 先輩猟師は押し倒されたあと、まずヒグマの鋭い爪で首を引っ掻かれ、次に頭部に噛みつかれた。「ガリガリ」という音が響きわたるなか、携帯していたナイフを手に握ってヒグマの口のなかへ押し込むと、ヒグマは襲うのをやめ立ち去った。

クマは「精鋭の特殊部隊員」と同じ
銃があっても倒せる保証はない

 頭部から首にかけて深手を負い、ヒグマの口に突っ込んだ腕が骨折していたものの、先輩猟師は一命を取りとめたそうだ。

 この話を聞くと、猟師たちがクマと常に命懸けで対峙(たいじ)していることがわかる。「山はクマの縄張りだ。そして、クマは生身の人間を一撃で倒すパワーを持っている。ある意味でクマは、有利なポジションを確保しながら、近づく敵を待ち伏せる精鋭の『特殊部隊員』みたいなもの。猟銃を持っていても、倒せる保証はどこにもない」と話す猟師もいる。

 テレビや新聞のニュースで、クマの駆除要請を受けた猟友会の猟師のことが報じられるが、そうした事情を慮る一般の人がどれだけいるのだろう。