
野球部で見かける「女子マネージャー」の存在には、いまなお根強いジェンダー観が影を落としている。著述家・中野慧氏が高校野球と女子マネージャーに潜む価値観を掘り下げていく。※本稿は、中野 慧『文化系のための野球入門 「野球部はクソ」を解剖する』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。
女子マネージャーの存在は
男性優位主義者による性差別?
野球文化においては「女子マネージャー」の存在も、しばしば性差別的であるとして問題化されてきた。そこで語られるのは、「女子マネージャーは性差別的存在であり、女子マネージャー自身も性差別構造の強化温存に加担している」というイメージである。
社会学者・高井昌吏の『女子マネージャーの誕生とメディア スポーツ文化におけるジェンダー形成』(ミネルヴァ書房、2005年)では、多くの女子マネージャー当事者の声を集めた上で、彼女たちが女子同士の関係を嫌悪し(ミソジニー=女性嫌悪)、逆に男子同士の関係(ホモソーシャル)に惹かれたからこそ女子マネージャーを選択している、と分析される。
近年ではライターの武田砂鉄が、著書『マチズモを削り取れ』(集英社、2021年)のなかで、女子マネージャーという存在を批判的に論評している。同書は、担当編集者「Kさん」から送られてきた檄文に武田が応答していくかたちで綴られる。「Kさん」は、女子マネージャーがユニフォームの洗濯、飲み物づくり、グラウンド整備など選手のケアを主に担当しているとし、次のように疑問を呈する。