その面々は、パーティに参加していた早稲田大学創立者・大隈重信(演:平泉成)たちの面前でなぜか上裸になり、供されていたビールをラッパ飲みしながら「T・N・G!T・N・G!」と掛け声を揃えてダンスパフォーマンスを披露する。嘉納治五郎はあまりの意味不明さに度肝を抜かれる――。
この『いだてん』第1話は放送当時、SNS上でも大きな反響を巻き起こした。戦前=不自由な社会というイメージに反して、彼らのパフォーマンスがあまりに自由なものだったからだろうか。
天狗倶楽部は、押川春浪(編集部注/作家、編集者)周辺の人々によるスポーツ社交団体で、画期的なスポーツ関連事業を行って日本のスポーツ振興に貢献した。安部が指導した早稲田野球部の選手たちも数多く集い、彼らが後に日本のアマチュア野球やプロ野球を発展させていった。安部自身は天狗倶楽部のメンバーにはならなかったが、精神的には近い位置にいたと考えられる。
天狗倶楽部は当初、春浪がスポーツの振興・育成を目的とする日本初の本格的スポーツ団体「日本運動倶楽部」を創立した際に、付録的にできたものだった。
野球殿堂入りも果たした
天狗倶楽部の5人
春浪が主筆を務める雑誌『冒険世界』周辺の記者、評論家、画家、鉄道エンジニア、弁護士、劇作家、科学者などに加え、早稲田野球部をはじめ野球選手たちも集い、当初は新聞紙上で「文士チーム」などとも呼ばれていた。もちろん、彼らは当時としては非常に高度な教育を受けた上流階級の人々であった。
文化人としては押川春浪を筆頭に、京浜電気鉄道(現在の京浜急行)の鉄道エンジニアで文芸評論家としても活躍した中沢臨川、当時の大新聞だった萬朝報や東京日日新聞(現在の毎日新聞)で活躍したジャーナリストの弓館小鰐、アール・ヌーヴォー様式を取り入れたイラストで好評を博した画家の小杉未醒、日本のテニス普及に尽力した編集者の針重敬喜、早稲田大学在学時には応援隊の「野次将軍」として人気を博した読売新聞の吉岡信敬などがいた。
さらにはスポーツ選手として、学習院のエースで東京帝大進学後の1912年ストックホルムオリンピックに日本選手として初めて出場(陸上短距離)した三島弥彦、一高を破った早稲田の初代主将である橋戸信、初期のエース河野安通志、春浪の実弟で早稲田三代目主将の押川清、早稲田出身で戦前~戦後にかけてアマチュア野球のオピニオンリーダーとして活躍した飛田穂洲なども加わる。