天狗倶楽部のメンバーはアマチュア野球やプロ野球の創設・拡大に大きな役割を果たしており、押川清、河野安通志、橋戸信、飛田穂洲、さらに雑誌『運動界』の主筆となり神宮球場の建設にも尽力した太田茂(志蹴)の5人は、のちに野球殿堂入りを果たしている。
天狗倶楽部は負けても勝っても
運動としての野球を楽しむ!
彼らは野球、相撲、テニス、柔道などさまざまな運動を行っていたが、そのなかでも特に活発だったのが野球チームの活動である。その特徴を表す一節を紹介しよう。
負けても勝っても、法螺を吹いたり、負け惜しみを言ったりすることでは人一倍のチームである。たとえ点数ではグーの音も出ないような大敗であっても、彼らは決して負けたとは言わない。もし間違って「負けた」と言ったとしても、「わざと負けてやったのだ」と言い張るあたりが面白い。そして、もし一点でも勝つことがあれば、手の付けようがないほど調子に乗り、試合後は他人を近づけないほどの自信に満ち溢れるのだ。
(中略)
試合中、打てるかどうか、ボールを捕れるかどうか、といったことを気にする連中ではない。たまたまヒットを打ったり、思わぬファインプレーができたりすると、それだけを何十日も自慢し続ける。一方で、ミスや下手だったプレーについてはすっかり忘れてしまうほど天真爛漫である。
おそらく、世の中の運動として野球を楽しむ紳士たちの中で、天狗チームほど「運動そのものを楽しむ」チームはないだろう。試合の責任を感じるような野暮なことはせず、仲間が簡単に捕れるボールを大げさに追い回し、二歩で行ける距離をわざわざ五歩十歩よろめき、試合中は腹を抱えて笑い、ほとんどの試合に三時間以上を費やす。そうした様子を見ると、運動としてこれ以上楽しい野球はないだろう。
(横田順彌『〔天狗倶楽部〕快傑伝 元気と正義の男たち』朝日新聞出版、2019年、17ページから筆者が現代語訳)
(中略)
試合中、打てるかどうか、ボールを捕れるかどうか、といったことを気にする連中ではない。たまたまヒットを打ったり、思わぬファインプレーができたりすると、それだけを何十日も自慢し続ける。一方で、ミスや下手だったプレーについてはすっかり忘れてしまうほど天真爛漫である。
おそらく、世の中の運動として野球を楽しむ紳士たちの中で、天狗チームほど「運動そのものを楽しむ」チームはないだろう。試合の責任を感じるような野暮なことはせず、仲間が簡単に捕れるボールを大げさに追い回し、二歩で行ける距離をわざわざ五歩十歩よろめき、試合中は腹を抱えて笑い、ほとんどの試合に三時間以上を費やす。そうした様子を見ると、運動としてこれ以上楽しい野球はないだろう。
(横田順彌『〔天狗倶楽部〕快傑伝 元気と正義の男たち』朝日新聞出版、2019年、17ページから筆者が現代語訳)
とにかくお調子者で天真爛漫であり、結果にこだわらず、ミスは忘れ、いいプレーができたら際限なく増長する。新橋アスレチック倶楽部や正岡子規の時代の「エンジョイ・ベースボール」に、豪快なバンカラカルチャーを加えたような文化性である。
